快晴。猛暑。
夏である。
いつ来るかいつ来るかと話していたら、いつの間にか来ているのが夏である。
いや、夏に限らず、季節はどれもそんなものかもしれない。
だから人は、海やプールに行ったり、スイカを食べたり、風鈴を軒先に吊したりして、夏が来たことを自分にわからせようとしているのだろう。
逆に、海やプールで泳がず、スイカもかき氷も食べず、花火大会の音には耳をふさぎ、甲子園のニュースを無視して9月まで過ごせば、
「今年は夏が来なかったな」
と、彼は言えるのかもしれない。
所詮季節なんて人間の作り出した認識ルールにすぎないというわけだ。
とはいえ、夏という季節を認識するゲームに関しては、子供の頃からニコニコ笑って参加し続けている自分ではある。
『シガテラ』で高井が言っていた。
「俺にとって、夏がすべてだ」
全面的同意はしない。
が、気持ちはとてもよくわかる。
ミネット・ウォルターズ『氷の家』読み始める。
『哲学者の密室』を読んだ後では、どんな本を読むのもなにかのリハビリみたいに感じられる。
12月の台本用にあらすじを書いているが、問題点がいくつか見つかった。
解決しないと書き始めることができない。
昔なら、書いているうちになんとかなるべえと、さっさと書き始めていたところだが、今回は慎重になっている。
年をとったせいとは思いたくないが。
夜、ラーメンショップ椿でラーメンを食べる。
8月いっぱいで小金井から出て行くことになったので、もしかしたら永久の別れになるかもしれない。
ゴミ袋有料化が8月から始まるのがきっかけといえばきっかけだ。
ゴミ問題に目を向けるのはやぶさかでないし、有料化によって市民の意識改革が起こることも大いに結構だ。 だが、肝心のゴミ袋が売っていない。
コンビニに売ってるらしいが、見たことがない。
粗大ゴミシールみたいに、レジに言わないと買えないのだろうか?
そのへんの煩雑さと、駅南口再開発問題、そして市内の公衆トイレの極端な少なさへの疑問。
そういったことを考え、そろそろ潮時かなあと思うようになってきた。
図書館が歩いて2分と近く、居心地のいい場所だったが、もう十分に住んだ。
未練はもはやない。