7時起き。
朝飯後、祖母の思い出話を母とする。母は祖母の年齢を三つ超えた。
祖母と、ちゃんと話した記憶がない。おれが小学三年生の時に入院してから、祖母はずっと病院にいた。それ以前は、母が出かける時など、祖母に世話をしてもらったりしていたが、幼かったので、遊んでいる時に右斜め後ろから「それダメよ」と注意されるような位置関係だった。
たぶん、従兄弟たちは違うはずだ。みんなおれより年上だし。
それでも祖母の記憶は結構ある。電話で「ぼた餅あるからね」と言われ、あんころ餅のようなものを想像して祖母の家に行ったら、なかったのでガッカリしたこと。テレビの映りが悪いからとチャンネルのつまみを外し、穴にドライバーを突っ込んで「お母さん、感電するわよ」と、伯母や母に注意されている姿。よく相撲を見ていたことなど。
亡くなったのはおれが小学四年生の時だった。正直、悲しいという気持ちは起きなかった。しかし、皆が悲しんでいるのに、自分だけ感じていないのが後ろめたかったので、所々で神妙な顔をしていた。しかし心の中では、親戚がたくさん揃う機会が珍しくて楽しくて、ずっとはしゃいでいた。
出かける前に、母の一番上の姉が映っているビデオテープを受け取った。DVDにダビングするためだ。
この伯母さんは母よりも年がずいぶん上で、戦前に師範学校に通い、戦後に教師となった人だ。
戦前の価値観で学び、戦後すぐに教師として働くのは、どういう気持ちだったのだろう。もし戦前に教師になっていたら、戦争が終わってすぐ、今まで教えていたことは間違っていたからと、教科書に墨を塗らせていたかもしれない。その経験をせず、まっさらのまま教師になったのだから、胸に抱いていたであろう理想は、どれほど純なものであったか。
この伯母さんと話した回数は、祖母よりも少ないくらいだが、大人になってから数回、冠婚葬祭の場で会っているため、会話もしたし、人物像を印象として記憶している。その記憶から判断すると、聡明で理性的で、思慮深さのある人だったと思う。
なので、DVDへのダビングは、実は自分の楽しみでもある。
ビデオの内容は、1998年に伯母が韓国を旅行した時のものだ。戦前、母の一家は京城(ソウル)に住んでおり、戦後に引き揚げてきた。伯母にとっては、十代の多感な時期を過ごした故郷であるが、手放しに「懐かしい」と言って喜ばない思慮深さが、そのビデオからうかがえないかと期待している。
一昨年亡くなった伯母にもソウル時代の話を聞いたことがある。引き揚げの時、生きて帰れないと思っていたと言われ、ドキッとした。この伯母は体が弱かったため、厳しい旅程に耐えられないかもしれないと、本人も周囲も感じていたというのだ。
母は終戦時、まだ小学校に上がったばかりだった。おそらく、完全に守られていたのだろう。だから、母にとって京城の記憶は、おとぎ話のようにのどかで、豊かなものばかりだ。それはつまり、幼い母に惨状を見せまいと努力した祖父母や兄弟たちのおかげだったかもしれない。
ただ、母の脳はそのため、若干お花畑になったことも事実だ。それは仕方ない。その分、深刻さを、息子の自分が想像でくみ取っている。
午前中、昨日考えた通り、ツールをエクセルで作れないか検討する。
昼、コンビニ食。
今日はものすごく寒かった。真冬はいつもこんなものだと思うが、近頃暖かかったせいで、相対的に感じる気温低下が、実際の気温より寒さを強く感じさせた。
午後、今までのエクセル管理簿を2シートに分けることを思いついた。片方でIDの管理をし、片方で消費量の管理をし、出力はその2シートをまとめればいい。
ID管理のシート用に、データベースからデータを取得するコードを書き、久しぶりにSQL Server用のクエリを書いた。実行結果に満足したので、俄然やる気が出て、さて、相違分の抽出機能などつけようかと思っていたら、問い合わせが入った。話してみたが、先方の言っているファイルがどれのことを言っているかわからず、探しているうちに、ツールのことが頭から吹っ飛んでしまった。
自転車で帰宅中、あまりの寒さに「寒いなあ」と何度か声を出した。
7時帰宅。夕食にハムカツ、メンチカツ、ゆでもやし。
8時過ぎ、今日は早寝してしまおうと思って寝床に入ったが、11時に起きてしまった。
起きて、ちょっと外に出てみると、寒さに身が縮こまった。
ブログ整理、2003年6月まできた。きついことがあってから、しばらく自省的になっている日記は、今読んでも面白いのだが、元気になって調子をこき始めると、大変ウザい。そのあと何が起きるのか克明に知っているだけに、調子こいている自分が痛い。
そして、調子をこいている時の方が、おれは他人に甘えているんだなあと感じた。寂しいから甘えるのではなく、その逆なのだ。
調子をこいている時のおれは、はしゃいでいる親戚の子供みたいになる。まるで、祖母の葬式のおれみたいだ。
あの時のおれが、まだこの中に居やがるのだ。