指震えとるやんけ

8時起き。
昨日のライブの余韻は起きても残っていた。今年は2月末にPerfumeのドーム公演に行く予定だったが、夕方腹ごしらえに水道橋の立ちそば『とんがらし』まで行き割り箸をパチンと割ったところで公演中止を知った。以来、ライブはひとつも行けていない。あれとか、それとか、色々チケットを取っていたけど、全部中止になった。

それでも、圧倒的な自粛圧のあった5月頃に比べると、夏以降はさまざまなジャンルで観客を入れたイベントが再開されるようになった。今年初めて見た舞台演劇はそういうわけで11月の文学座だった。

10時頃に腹が空いてきたので、朝飯として焼きそばの残りを食べた。

昼過ぎから、昨日の続きの動画エンコード作業をし、洗濯をした。

昼過ぎ、『ウーララ』の原稿直しをする。

3時過ぎに入浴し身を清め、5時過ぎに自転車で荻窪へ。
サイクルスポットで自転車の空気を補充し、まいばすけっと前の駐輪場に自転車を止めた。昨年もそこに止めた。

6時過ぎ、クリスマスのピアノ発表会へ。昨年とは違い、席が備え付けのホールだったので、設営にかける時間がない分、進行は楽そうだなと思った。
リハーサルで少し弾かせてもらい、おっ、すっげえいい音と思ったとたん派手にミスった。

7時からスタート。昨年と比べると緊張の度合いはややマシになっていたが、それでも落ち着きとは程遠い状態にあった。
前半の終わり頃、自分の番が来て舞台に上がり、譜面を開いて鍵盤を見ると、一瞬、何もわからなくなり混乱した。混乱しているのに落ち着いていた。この感覚は、舞台に上がるということだけは慣れているからだろう。
譜面を見て、おお、そうじゃと、『ねじ式』みたいな気づき方をしてから、息を吐いて弾き始めた。最初のうちは夢中だった。それゆえに、ミスのことはまったく考えなかった。後半に入り、そういえばミスしてないなと思った瞬間、指がまたしても日商岩井の海部八郎のように震えだした。
結局、後半で少しとちったが、なんとか終結部を引き、袖に戻った。

客席の自席に戻ると、自分の前に演奏していた人が、緊張してミスをすることについて愚痴っていた。

休憩をはさみ、後半の途中で、二曲目をやる番がきた。最初のよりうまく出来るやつだと認識しており、緊張も一曲目よりはしなかったのだが、出番が来て礼をして、弾き始めたらいきなりド派手にミスった。長介、工事、ブー、茶がコケるような音だった。あちゃー、と思ったが強引に続けた。こうなったらいくしかなかった。

すべて終え、席に戻ってからは、手練れの演奏者が弾く曲をしみじみときいた。ああ、ランクがちげーよなー、と思った。『聖闘士星矢』でいえば、ブラッククロスの人達だなー、と思った。ラストを飾った人は間違いなくゴールドクロスだった。おれはさしずめ、チョコレートクロスだ。弱っ!

全体で白眉だったのは、前半終わりの連弾だった。すごい演奏を生で聴くと、本物の楽器が空気を震わせる波動が耳だけでなく皮膚に届き、振動は体の中に入り込み臓腑を揺らし、細胞単位で佳き音を悦ぶようになり精神が恍惚となっていく。こういうのは、リモートでは絶対に再現できない。

緊張については、反省してもしかたないなと思った。ただ、緊張を生み出しているものについては、よーく考えないといかんぞ、とも思った。すなわち、おれの社会的プライドみたいなものである。「いいおっさんなのにかっこ悪いなあ」とか思ったら命取りだ。かっこ悪いのは当たり前、というより、それをかっこ悪いと判断する自意識の傲慢さに気付かねばならぬ。
ふと、赤江珠緒さんのことを思い出した。何年か前、『たまむすび』リスナーたちとポンコッツというバンドを組み、自身はサックスを担当し、みんなで練習しライブまでやったが、当然そんなにうまくなかった。けど、その音にはなんと、迷いがなかったことか。変な音なのに、愛しい音だった。

結局、なにかを学ぶときは、どれだけ素直に、無垢になれるかが肝心なんだろうなと、自転車をとめてある駐輪場に向かいながら思った。芝居でも、演出家が何かを言うとすぐに「わかりました」とか「できます」と答える役者さんがいるけれど、そういう人の方が危うかったなあ。過去の公演を振り返るとそうだった。

夕食を何にしようか考えつつ西友に行き、ビールと、蕎麦ののったケーキを買った。安売りのモンブランは、蕎麦ののったやつ、と言い続けていきたい。

9時半帰宅。夕食に、肉団子、きゅうりのぬか漬け食べる。

12時就寝。