タバコをやめておよそ3ヶ月たつのだが、最近タバコの煙で充満したPRONTOの2階で本を読んだりするのが苦痛になってきた。
自分が吸ってた時には露ほども思わなかったのだが、他人の吸うタバコの煙は客観的にうっとおしい。
こんな気分は、19歳の時にパチンコ屋に入って、あまりの煙たさにむせて以来のことだ。
そもそもタバコを吸い始めたのが、パチンコ屋なのだ。
景品でタバコをもらう。
なかなか出ない時など、結構手持ち無沙汰になる。
好奇心から吸ってみる。
むせる。
「こんなもん、どこがいいんだ」と思う。
残ったタバコは誰かにあげてしまう。
再び景品でタバコをもらう。
以下、繰り返し。
やがて、一人の喫煙者が(あと、パチンカーが)誕生する。
そういえばこのところずいぶんパチンコをしていない。
今行ったら、タバコの煙で涙が出るだろう。
そう考えるだけで行きたくなくなる。
が、もしも行ったら、間違いなく再び、喫煙者になるだろう。
あの煙の中で自分を保つには、喫煙者になるしかないのだ。
風呂泥棒のラストを稽古した。
トンネル貫通といった感触。
「ゼロの焦点」読み終わる。
随分とのんびりした推理小説だと思ったが、昭和30年代前半の社会においては十分にスリリングだったのだろう。
急に創作意欲に駆られ、台本を書く。
夏に書きはじめた、姉の骨を探す妹の話。
虚構の家族の家長として現実逃避する作家の話。
主人公が、真の主人公を目指して、作者や周りのキャストに助けられて頑張る話。
以上3点。