5月の勉強

 朝6時半に起きる。
 起きるというより目がさめた。
 暖かさのためだろう。
 フライパンで肉を焼き、生卵と一緒にご飯にのせて食べた。

 昨日に続いて、自分の中にあるエンジンのかかりが悪い。
 だからぼけーっとしている。
 こういう時に一番やりたくない勉強は、数学と物理だ。

 そういえば、高校に入学して最初の中間テストが5月の末にあったのだが、テスト勉強が身に入らなくて困った覚えがある。
 学校から帰ってきて夕食を食べ、7時くらいに机に向かうのだけど、1時間もしないうちに飽きてくる。
 それで、なんとなく外に出て、ぶらぶら歩いたりした。
 あとは、マンガを読んだり、ラジオで音楽を聴いたりしていた。
 テストは最悪の成績だった。
 その時にできた知識の空白が不良債権と化し、高校3年になるまでずっと苦しむことになったのだ。

 とにかく高校1年から2年にかけては、学校の成績はひどいもんだった。
 テストの順位はクラス45人中40番台というありさま。
 唯一、世界史だけはできた。

 高2の頃、Wという担任の先生がいた。
 その先生の進路指導はシビアで、
 「今から勉強すれば大学入れるよね?」
 と聞く生徒に、
 「今からだと現役じゃ無理。死ぬ気でやって五分五分」
 などと答えていた。

 W先生と個人面談をやった時、なぜか先生はヘルマン・ヘッセの『デミアン』を貸してくれた。
 その時は結局、本の話しかしなかったような気がする。
 先生は最後に、
 「まあ、塚本君は大丈夫よ」
 と、進路に太鼓判を押してくれたのだが、成績がビリに近い自分としては、とてもその言葉を信じる気にはなれなかった。
 しかし、そういう風に言われたのは初めてだったので、期待に応えないとなんだかすまないなあと考えてもいた。

 高2の終わり頃から、先生の勧めもあって、ラジオ講座を聞き始めた。
 あとは、小学生の時からやっている進研ゼミ。
 遅れに遅れた受験勉強を、この二つで遅まきながら始めたのだった。

 ラジオ講座の英語では、当時まだ学生だった光岡ディオンがアシスタントをやっていた。
 超美人だった。
 彼女はその後DJとして活躍するのだが、しばらくその名を聞かないなと思っていたら、なんと、THE BOOM の宮沢と結婚していたことを知った。
 ショックで、THE BOOM が少し嫌いになった。

 ぼけーっとしながら、そういうもろもろのことを考えていた。
 そういえば、こういう風にぼけーっとするのは、5月だけだ。
 5月病とはちょっと違う。
 連休ボケか。

 夕方、金曜日以来のジョギング。
 東八道路を西に走り、西国分寺からお鷹の道を通り、住宅街を走って新小金井街道に出るコース。
 はじめの5キロほどは極めてゆっくり走ったので、部屋に戻った尾t木は1時間40分が過ぎていた。

 夜、アジフライとサラダと冷奴を食べる。
 アジフライはお惣菜コーナーの安売り。

 部屋の片付けと洗い物をし、すでに読み終わった本をつまみ読みして過ごす。
 窓を開けると虫が入ってくるようになった。
 そろそろ蚊取りリキッドをたく時期だろう。