26歳の頃

朝、昨日の水炊きを雑炊にして食べる。
鞄にジャージを入れるとパンパンに膨らんだ。
重いが致し方ない。

随分寒くなった。
だが、11月は突然小春日和が訪れたりするので、コートを着るのはもう少し先だろうと思っている。

昼、フラミンゴであまりおいしくないスパゲティを食べる。
店の雰囲気は嫌いじゃないのだが、味のチープさは許容範囲をわずかに超えている。
<炊き出し>を食っているような気分になる。
<炊き出し>の列に並びたいくらい腹が減っている時なら良いかもしれない。

仕事後、下高井戸の稽古場へ。
雨が降っていた。
稽古場に着くと役者は談笑中。
小林くんはチラシの折り込みで遅れているとのこと。
身に覚えのある苦労なので心密やかにうなずく。

7時半から読み合わせをする。
読みながら、随分昔にイルカ団の芝居に出た時のことを思い出す。

養成所を出てすぐ、知人のつてである劇団の旗揚げ公演に参加した。
客演としてだった。
そこでイルカ団主宰の小林君と知り合い、彼も同じ養成所にかつて通ったことがあるということを知った。

翌年イルカ団の芝居に誘われた。
男のキャストが足りず、本番3週間前にいきなり誘われたのだった。
初めて会ってから半年以上経っていた。

その頃は、芝居漬けだったそれまでの数年間で懐具合は抜き差しならぬ状態になっており、なにはともあれ働かなければならなかった。
だが芝居は出たかった。
8ヶ月も出ていなかったのだ。
3週間という稽古期間は短かったが、深夜から明け方まで働いていた居酒屋の仕事と掛け持つには、そのくらいの期間が丁度よかった。

久しぶりに稽古をするのが実に楽しく、その頃稽古場で撮った写真を見ると、ふざけてばかりいる。
最後まで楽しく過ごした。
嫌な思い出はない。
ただ、自分の芝居を今ふりかえると、見る人を突き放す独りよがりのものだったと思う。
面白いと言ってくれるのは、たぶん知り合いだけだったろう。

それからおよそ一年間、26歳の自分は芝居をまったくしなかった。
芝居に出たいという欲望が、自分の中から消え失せていた。
なぜだったのだろう。

おそらく、自分にとって芝居とは何であるのかが、わからなくなっていたのだろう。
迷える青年期だったわけだ。

1年と2ヶ月後、27歳になって久しぶりに出た芝居も、イルカ団だった。
この時も楽しかった。
5年半働いた居酒屋の仕事を辞め、青果市場で早朝から働いていた。
朝の5時半から11時半まで、タマネギ20キログラムを100箱トラックから上げたり下ろしたり、ジャガイモ10キログラムを150箱、トラックから上げたり下ろしたり、その合間に色々な野菜をお客さんの車に運んだりしていた。
昼の1時から芝居の稽古をし、夜の10時近くに終える頃には、眠さのあまり後頭部が痺れた。
それにも関わらず、辛かったという思い出はあまりない。

芝居が終わるのと同時に、市場の仕事も辞めた。
朝まで打ち上げをした後、4時半にお先に失礼して仕事に行き、そのあまりの辛さに何もかも嫌になってしまったのだ。
2週間後にバイク便の仕事を始めた。
そしてマグネシウムリボン旗揚げ公演の準備を進め、9月に稽古を開始した。
稽古場の雰囲気が日を経る毎に重苦しくなっていき、加えて仕事もうまくいかず、本番の一週間前からしばらくのことはあまり覚えていない。

以来、二十代は楽しいことがほとんどなく終わった。
なんていう風に書くと悲惨に感じるが、味わい深い苦しみが多かったと今にして思う。

十年以上の時が経ち、小林君の書く台本のカラーも変わった。
わかりやすい面白さから遠ざかることに全力を傾けていたかのような過去作品と違い、どこか抜け目のなさがあり、突っ込まれてもやり過ごすタフさがある。

「塚本さんがどういう芝居をやるのかわかんないので、当面は好きにやってください」

と言われる。
ありがたい反面、これも謎かけかなと思う。

稽古後、上高井戸から芦花公園まで行き、そこからバスで帰る。
雨は小雨になっていたが、やんではいなかった。
よってジョギングはなし。