実家にて朝ご飯。
以前は仕事先が飯田橋だったので7時40分に起きても大丈夫だったが、新宿に移った現在、実家の目覚めは7時20分がちょうどいい。
アジのひらき、大根おろし、納豆、味噌汁、ご飯。
トラディショナルスタイルの朝食。
鮭よりもアジのひらきの方が微妙にうれしい。
昼、パーシモンへ。
梅しそピラフ食べる。
毎回、今まで食べたことがないものを頼むよう心がけているが、どれを頼んでも一定のクオリティがある。
味ではなく、おもてなし感が一定なのだろう。
「召し上がれ」
と言われたような嬉しさを感じる。
仕事後、国分寺にて芹川と待ち合わせ。
立て替え金の精算と、公演後にしましょうと言われていた話を聞きに行く。
北口に出て、「居酒屋いくなら俺んち来い」に入る。
変な名前の店だが、以前高田馬場店に行ったことがある。
フィギュアがたくさん陳列されていて、何系の店なのか判然としなかったが、店員の元気さが印象に残っている。
稽古場と切手料金の計算をしてお金を渡す。
赤字だったという話を少しして、店のまかない食を頼む。
けっこうちゃんとしたご飯が来たので腹一杯になってしまった。
精算以外には、話を聞くこと以外の用事はなかったが、話はあまり聞けなかった。
「稽古が進んで、『作家』の台本が上がってから、よしっとなりました。僕、どうなんでしょう。芝居への熱が落ちてるのか」
など、とりとめない言葉が漏れた。
3月の半ばにマグ三人で話した時にも、同じようなことを言っていた。
トウガラシライフの時は、ギャラリーに入ってから、そうかこれはこういう作品なんだとわかってきた云々。
終わりの方で作品がわかってくるということは、最近に限った話では決してない。
芹川が初めてマグに出た『1:1』から、それ以前から、すべての作品に共通している。
違っているとすれば、芹川の感じ方が変わったというほかない。
去年の秋に『毒薬』を稽古していた時、主体性が出てきたということを言っていた。
だが、役者としての主体性か、劇団員としてか、はたまたクリエーターとしてなのか、依って立つ地面が明確でないまま述べる「主体性」という言葉は、主体性がない。
クリエイターとしての主体性であるならば、かつて自分で書いた台本で、一本公演をうつなりしてみる方法もある。
1月に「何かやってみれば?」とメールをしたが、「しません」という返事がきた。
どうしたいのか、こちらから水を向けて誘わないといけない、彼はもうそんな年齢ではない。
今年33歳になる。
だが、初めて会った26歳の時と同じような逡巡と、考えの堂々巡りは、この数年間消えたことがない。
こちからか話をしないと、沈黙が多くなった。
少しでも話をすると、俺の独演会みたいなものになる。
同じことの繰り返し。
11時前に店を出た。
電車に乗って考える。
公演前に送ったメールは、ごく普通のものだった。
単純に「頑張っていこう」というたぐいの。
それに対する芹川の返事は、答えを留保するようなものだった。
「今、自分は何とも言えません。何を言っていいのかわからないというのが正直なところです」
今回の留保に対して、再生ボタンを押すのは何になるのだろう。
頭の中に再生ボタンのイメージを浮かべながら帰宅。
11時過ぎだった。