ノラは知っててそうしてた?

8時半少し前に家を出て、ぎりぎりに仕事場へ。
朝飯なし。

昼、さくら水産でランチ。
ここに来る時は、おかずはどうでも良い。
飯だけ食うつもりで行く。
コロッケ、エビカツの揚げ物セットを頼み、卵かけご飯でゆっくり食す。

定時過ぎにあがる。
コナミへ。
クロストレーナーと筋トレ。

9時帰宅。
玄米粥を炊き、さばの味噌煮缶詰と一緒に食べる。
他に、豆腐とキムチ。

糸井重里と堀江貴文の対談を、ほぼ日で読む。
和やかに進行し、面白い意見や魅力的なフレーズがページごとに必ずあるのは、糸井さんならではだと思った。

「人形の家」読了。
戯曲は、読了と書くのが不適切に感じる。
読むだけではなく、演らねばと、演劇人の端くれとして思うからだろうか。

以前読んだ時よりもずっと面白かった。
翻訳も良かった。
ギリシャ悲劇から始まり、時代順にさまざまな戯曲を読んできたので、この戯曲が過去の作品と比較してどれだけ進歩した結果であるのかがわかり易かった。

ノラの出奔について、平塚らいてうは否定的だったとWikipediaにはあった。
興味深い事実だ。
夫を捨てるのはともかく、子供を残して去るという点が、ノラの行動の是非を論ずる際に分かれ道となるかもしれない。

ノラが出て行く理由を「自立」にするのが、なぜかしっくりこなかった。

夫のヘルメルは、クロクスタの手紙を読み、妻が署名偽造の罪を犯していたことを知る。
直後の周章狼狽っぷりと、クロクスタがことを明るみにしないと知ってからの手のひらの返しっぷりが、ノラに「私はあなたの人形だった」と言わしめる。

だが、ノラはそんなこと、先刻承知だったのではないか。
自分が人形であると知った上で、かわいい妻を演じていたのではないか。
そしてヘルメルのことを、良き夫を演じてくれていると思っていたのではないか。
ところが、うっかり素に戻ってしまった夫を見て、もはや演じること能わずとノラは思い、出て行ったのではないか。

「ではないか」四連チャン。
こう解釈した方が、見たこともない「人形の家」を演出できそうな気がする。
解釈を書いてるだけではむなしい。
実際にやってみないと。
いつになるかわからないが、やりたい。