楽しくて喜びなし

いったん6時半に起き、まどろんで、次に起きた時は7時50分だった。
「あーもう、会社行きたくないなあ」
などと、彼氏に振られた翌朝のOLみたいなことをつぶやき、10分後に起きて着替え、それでも会社に行った。
それでも、の部分に、ゼリー飲料とかサプリメントとかを食べる場面をはさめば、CMになる。

午前中、またしてもコンドウHくんから不具合を聞く。
だが、昨日修正したものを使っていなかったのではないかという意見に落ち着き、再度作業をしてもらう。

メンテナンスを終え、昼休みはカップヌードル。
カレー味。
カップヌードルは定期的に食べたくなる。

読む本がなくなってしまったので、スマホで漫然とWikipediaなどを閲覧する。

午後、コイズミさんから頼まれていた集計表の調整。

夕方、定時あがりかと思っていたが、
「塚本さん、今日はもう帰りますか?」
と、Skypeでタカハシさんから聞かれる。
「やる仕事がなくなるまでいますよ」
と答える。
ヤマグチくんからも、
「インポートお願いします」
と依頼が来る。
ファイルを見てみたら、よくわからない内容だった。
どういうことか聞きに行くと、数名に囲まれて議論していた。
商品を売る手続きを大幅に端折れる注文をどんどんさばこうとと目論んだのだが、急ぎすぎたために不足情報の確認が発生し、二度手間作業を生んでいるということになる。
初めに達成率ありきで進めていたのではないかと疑う。

戦にたとえると、機を見て作戦を変える柔軟性に乏しい状態なのかもしれない。
顔をまっ赤にした将軍が、
「ばっかもん! あのくらいの敵をなぜ防げんのだ! 突撃してまいれ!」
と叫ぶような状態だとすれば、その軍は強いだろうか。

なんて、皮肉なことを思いつつ、だからといって自分が全体を仕切る立場にいても似たようなことになるだろうなと、自虐と共に反省する。

結局、残業したものの仕事はあまりなかった。
6時半にあがる。

堀ノ内のサミットで買い物をして帰宅。
タマネギ一個と豚ロースを焼いて食べる。

昨日に続いて古いパソコンのことをネットで検索する。
パソコンに夢中だった少年時代のトータル時間が、思っていたほど長くなかったことを昨日気づき愕然としている。
4、5年は夢中だったと思っていたのに、たったの2年3ヶ月だったのだ。

マグ公演のチラシデザインをやってくれている細田くんは、MSXが最初のパソコンだと言っていた。
その後アルバイトをしてシャープのX68000を買ったという。
話を聞いた時はびっくりしたものだった。
X68000は30万円以上したのだ。
夏休みに工事現場のバイトをして稼いだのだという。

欲しいと思い、労働をし、手に入れ、作る。
健全で美しい円運動だ。

中1の時、バイトがしたくてたまらなかった。
欲しいパソコンは小遣いでは手が届かず、買ってもらうほど裕福ではなかった。
高校に入学したらすぐにバイトしようと思っていた。
取らぬ狸の皮算用だが、時給700円のバイトを1日3時間やれば2100円。
それを週4日やれば8400円。
月に換算して33600円。
半年もバイトすれば立派なパソコンが買えると、中学1年の頃は思っていた。

高校に入学してすぐ、友達とセブンイレブンのバイトをしようと思い、履歴書を書いた。
母親に反対された。
入学早々何ごとか、という感じだった。
だがその頃、新しいパソコンが欲しいという気持ちはなくなっていた。
だから反対されても、無理にバイトをしようという気にならなかった。
ファミコンを買ったばかりだった。
ゲームセンターのゲームが見事に再現されていることに驚いた。
たぶんそのせいで、パソコン欲しいという気持ちが萎えていたのだ。
コモドール64の苦しすぎるプログラミング経験が災いしたのかもしれない。
あんなに辛い思いをしなくても、ゲームならファミコンで十分じゃないかと思ってしまった。

ファミコンは、一つのキャラクターにドット単位で複数の色がつき、滑らかに動き、音が綺麗だった。
M5というコンピューターが、動きに関してだけは実現していたけれど、キャラクターの色は単色だった。

ゲーム目的でパソコンをやっていたガキどもがファミコンになびく決定的要因となったのは、ナムコのサードパーティ参入だったと思う。
当時、ゲームセンターにおけるナムコのゲームはブランド力において絶大だった。
パソコンでもナムコのゲームは遊べたが、動きがカクカクしていて音も貧弱だった。
ファミコンは、完璧ではないけれど、かなりの部分までそっくりに作られていた。

ファミコンは発表が早過ぎた。
早過ぎて失敗したという意味ではなく、あと1年遅い登場だったら、パソコンブームがそれだけ長続きしたんじゃないだろうか。

ともあれ、パソコンへの熱が冷めてしまうと、アルバイトをする必然性もなくなってしまった。

実家の天袋には、中学生の頃に買いまくったパソコン関連の書籍が段ボールにしまってある。
何年かに一回、発作的に段ボールをあけ、中身を調べる。
パソコンが買えないから、雑誌を買うことで欲求を満たしているところがあった。
当時、パソコンを持っていない人のことを、ナイコン族と言っていた。
段ボールにぎっしり詰まった本は、ほとんどがナイコン時代に買ったものだ。

中学の時にパソコンに熱中したのと同じ度合いで、高校の時はファミコンに熱中したのだが、楽しみはあっても喜びはなかったと思う。
ゼルダの伝説からドラクエ3にいたる、ファミコンが一番面白い時代でもあった。
面白いソフトが続々登場した。
やれば、楽しかった。
だが、楽しいことは喜びなのかというと、そうではないのだ。

中学2年の時、ゲームプログラムを手打入力して遊んでいた頃は、辛くて仕方なかったけど、その辛さは喜びだった。
結婚生活にたとえると、あらゆるものがなく、愛だけあった。

堀江貴文氏はMSXマシンが最初のパソコンだったらしい。
それでは満足できなくなり、PC8801mk2SRを新聞配達をして購入。
プログラミングにのめり込んでいったという。
その知識がのちにアルバイトする時の役に立った。

中学時代の熱中パワーは、やはりすごいのだ。
もしオレがタイムマシンで、中学時代のオレを現在に連れてくることができたら、1日3時間3000円で雑用のバイトをしてもらおう。