魚の目をとるためにお灸を買い、昨日から熱心に左足にすえている。
焦熱灸といって、細く小さなこより状の灸を直接すえるのが正しいやり方らしいが、根性焼きみたいですえる根性がなく、せんねん灸で代用している。
が、代用なりに少しは効き目があるのか、魚の目が浮き上がってきたように感じる。
今日は書くべきことがない。
食べたものは、ギョーザ、ラーメン、パスタ、ピザ。
よくわからない組み合わせだ。
体調がよくないが、消化器官は無事のようだ。
実家の西葛西にいる。
昨年、ダイエー西葛西店が閉店したことを、先月母から聞かされた。
建物がそのままのこり、周囲はゴーストタウンのように静かになったという。
人の流れが断ち切られたのだからそれもそうだろう。
ダイエー西葛西店がオープンしたのは1982年11月30日。
同日、徒歩3分ほど離れた場所にジャスコ葛西店もオープンした。
当日はお祭り騒ぎのようだった。
あんなに混雑した大型スーパーを、その後見たことがない。
ダイエーには2階、ジャスコには4階にゲームコーナーがあった。
ダイエーの方が1ゲーム50円と安かった。
いや、20円だったかな。
ジャスコは1ゲーム100円と高い代わりに、ナムコの最新ゲームが置かれていた。
ダイエーの3階にはNECのPC-8801というパソコンが十数台置かれたブースがあり、誰でも自由に触ることができた。
もっともこのブースは半年後になくなったと記憶している。
ジャスコの3階にもパソコン売り場があり、隣接した会議室にはダイエーと同じくPC-8801が数台置かれていて、これはパソコン教室用に使われていた。
ジャスコの4階にはスケートリンクがあった。
これは3年後にはもうなくなっていたと思う。
確か、催し物スペースに変わって、古レコード市なんてことをやっていたはずだ。
ダイエーの方がジャスコに比べてスーパー寄りの印象があったが、それでも値段はダイエーの方が安いという先入観がおそらく主婦層にあったと思われ、開店後10年はそこそこ繁盛していたと思う。
2年前の1月にダイエーに行った時、夕方なのにあまりにも空いているのにびっくりした。
いつからそうなったのだろう。
親会社の経営不振の影響ばかりとはいえない。
90年代以降、葛西地区には大型商業施設が沢山できた。
なにもわざわざダイエーに行かなくても良くなってきた。
徒歩で買い物をする人だけを相手に商売をするには、3階建ての建物はでかすぎる物件だ。
空いていたのはそういう事情だろう。
24年前にダイエーとジャスコがオープンしたことで、北葛西にあったナコスは3年後閉店に追い込まれた。
かつて葛西地区に住む人間にとって最大のスーパーだったナコスは、その後マンションに建て変わった。
周辺は閑静な住宅街となり、往事の人通りを思わせるものは何一つ残っていない。
ダイエーの跡地もいずれそうなるのだろうか。
にしても、買い手もつかないでかい建物が電気もつかずにそのままというのは、墜落した宇宙戦艦を見るようで落ち着かない。
結構な広さがあるから、更地にしてマンションを建てるとそこそこ売れるんだろうが、できれば建物を再利用して欲しいもんだ。
全部富士そばにするとか。
あるいは、新横浜ラーメン博物館みたいに、業種を一つに絞っていろいろな店舗が入っていると面白いかも。
結論。
大きすぎる商業施設は、その地区が発展し続けるという前提においては、過渡的なスタイルである。
地区の発展に比例して、同業他社との食い合いが必然的に生まれ、その際施設の巨大さは必ずやネックとなっていく。
だが、発展し続ける地区なんていうのも、今後は減っていく傾向にあるから、郊外のショッピングモールなんてのが一つできたりすると、それでその地区は発展打ち止めなんてことになっていくのかもしれないなあ。