マストドンをなんとなく始めている

10時起き。
冷凍していたカレーを温めて食べる。
眠かった。

先週からマストドンをなんとなく始めている。
とにかく始めてみたので、最初はニコニコ動画のインスタンスに参加した。
だが参加者が多いため、タイムラインが矢のように流れていき、何が何だかわからなかった。
その後、哲学どんというインスタンスにも参加してみたが、こちらは人が少ないため、タイムラインは昔のBBSのようなスローペースで流れていく。
それで思った。マストドンを始めるには、インスタンスのカテゴリをしっかり選ぶべきなのだと。
感覚としては、ゼロ年代初頭の2ちゃんねるや、mixiコミュニティに似ている。
インスタンスの存続は運営者次第なので、盛り上がっていても消えてしまう可能性がある。

twitterはもはや、つぶやきにくいツールになってしまったが、マストドンはまだ、思いついたことを気にせずつぶやける。
発言を検索する機能がないので、言いっ放し感はハンパない。
ニコニコのインスタンスだと、あっという間に自分のつぶやきがタイムラインの下に流れていく。

たぶん、企業が自社のインスタンスを立ち上げていく流れになっていくのではないか。
企業だけではなく、演劇だったら劇団が独自のインスタンスを立ち上げ、ファンや関係者が登録していくとか。

だがそれだと、LINEやFACEBOOKページとどこが違うのかという話になってくる。

正直、どうなるのかまったくわからない。
あっという間に飽きられて、尻すぼみに終わるのかもしれないし、あるいは今の段階では想像できない何かが起きて、あっという間にメジャーな存在になるのかもしれない。

夕方、高円寺のラーメン大へ。
西荻にあったラーメン大は、昔よく行っていた。
二郎インスパイアという言葉が出てくる前から、二郎っぽいなとは思っていた。
野菜を「増し増し」にすると、茹でもやしをとんがりコーンみたいに盛られた。
麺は少なめにして、野菜を増し増しにして、よく食べたものだ。

その、ラーメン大の高円寺店。
入るのは初めてだった。
麺を並にして食券を渡すと、中盛りサービスいかがですかと言われた。
お願いしますと答え、その代わり野菜は「増し増し」から「増し」に変更する。
盛られた野菜を見て、「増し増し」にしなくて良かったと思った。
とんがりコーンとまではいかないが、きのこの山くらいはある盛り方だった。

よく噛み、時間をかけて食べた。
食べ終わって、汗をかかなかったことに気がついた。
ひょっとすると、食事中の汗は、派手に動く胃袋の運動によるものなのだろうか?
よく噛んで食べることで、胃の運動は穏やかになり、汗をかくほどの運動にならずに済んでいるのだろうか?

2年前の夏、上井草の「アストラーザ」で特盛りオムライスを食べた時、あまりのボリュームに4分の1ほど残しそうになったが、よく噛んで飲み込むことで平らげることができた。
よく噛むと、少ない量でも満腹感を得られるが、沢山食べる時でも有効なのだなと、その時は思った。

要するに、よく噛んで食べるに越したことはない、ということだ。
ファスティング後はしばらく、よく噛んで食べることが習慣になるのだが、いつの間にか忘れてしまうのだ。

夜、芋焼酎飲む。

『北の国から』の連ドラ版、1話見る。
とうとう見てしまった。

『やすらぎの郷』は相変わらず面白いが、映像には感心しない。
野際陽子と石坂浩二が海を背景に話す場面など、海に反射する陽光が逆光になっていた。
わざと撮っているなら、二人が影絵みたいになるようにすればいいと思うのだが、ただ露出に失敗しているように見えた。
だから、今のところこのドラマは、倉本聰の引き出しを楽しむために見ている。

『北の国から』連ドラ版は、1981年秋に始まった。
ロケ多用の、大がかりなドラマなのだが、映像がちゃんとしていた。
寄るべきところは寄り、引くべきところは引き、奇をてらわず、カメラを不必要に動かしていない。

『やすらぎの郷』はめっぽう面白いが、時々、汚い絵面だなあと思う時がある。
あと、全体を映す時に、カメラをツーッと横に動かすのが、なんかいやだ。

黒澤明のトリビュート映像をYoutubeで見たが、


カメラはそんなに動かないでいいと思う。

とにかく、1981年の『北の国から』は、脚本はもちろん、おお、はあーっ、うーん、と唸らされたのだけど、映像がちゃんとしていることにも改めて驚いたのだった。
1970年代はドラマの黄金時代だった。
81年はまだ、70年代の技術やセンスが濃厚に残っていたと思う。

そういう、70年代的なセンスがなくなったのは、80年代半ば頃からだったろうか。
思えば、オレがテレビドラマを見なくなったのもその頃からだったなあ。