敵の存在を意識する

7時起き。
朝飯に、ご飯、納豆、さば塩焼き、麻婆豆腐。

母、さいきんよく一緒にお茶をしている友人の話をする。その人は、母が行きたいなら一緒に旅行に行ってくれると言っているらしい。だが、母が箱根に行きたいと言うと、やめた方がいいと言ったらしい。理由は、そこは父と旅行したことがある場所だったからだ。思い出すような場所はやめた方がいいという意味で友人は言ったのだった。

まことにご友人さんは正しい判断をされたなあと思って話を聞いていたが、母はそれが不満らしく、友人がなぜやめなさいと言ったのかについて、あれこれ理屈をこねていた。もったいない。

そのうち母は、「Sさんは良かった」と、十年以上前になくなった友人のことを懐かしみだした。彼女はどこでも一緒に行ってくれたのだという。

Sさんの旦那さんは、再婚しているのだが、籍はいれていないらしい。うまくいっているのかいないのかわからないが、近頃よく母に電話をしてきて、愚痴に近いことを話すのだという。

Sさんの旦那さんは、かつて息子がうちの母のところにお金を無心しにきたとき、貸してくれたことについて感謝しており、いまだにそのことの礼をいうらしい。その息子は、結局、お金のことで勘当してしまった。どこで何をしているのかわからないと、旦那さんは言う。

オレは、息子さんがいま何をしているのか、ネットで調べたため、多少知っている。Sさんの旦那さんには子供の頃世話になったし、もし、年をとって気が弱くなったかで、息子と話しをしてみようかという気になっているなら、連絡してみてはどうかと思ったので、メモに連絡先その他を書いて、母に渡し、「もしおじさんが、知りたがったりしたら、それを伝えてみて」と言った。

電車で現場へ。

昼、セブンで中華三昧の酸辣湯麺とカレーパンを買って食べた。

4時半、早退し、神田の歯医者へ。詰め物が取れたところを治してもらった。
12月に詰めてもらった時は1時間くらいかかった。その時は修復箇所が盛り上がり過ぎているような感触があった。そのうち慣れるだろうと思っていると、1月3日にぽろっととれた。
6日に再び詰めてもらった時は少し削り直されたが10分くらいで終わった。盛り上がりは初回より自然になっていた。
その箇所が昨日の朝にまたとれたわけだ。
初回から前回まではルッカ先生がやってくれたが、今日は別の先生が診てくれた。取れた箇所を診て、「なるほどねー」と、アナザー先生は言った。付着している接着剤の残りを落としてから、熱くてうねうねしたものを塗り、仕上げに研磨をしてくれて今日は終わった。やり方がルッカ先生と違っていたなあと思った。治療箇所を舌で触った感じでは、今までで一番自然な感じがした。

メトロで帰宅。
いなげやで買い物。長なす、小豆缶、にんにく、ピーナッツ買う。

夜、またしてもダラダラ過ごす。
せっかくだから、ダラダラ過ごす時、時間帯ごとにどんな心理状態であるかを記録してみる。

帰宅は6時半から7時過ぎの間である。買い物やその他用事があったとしても、7時半を過ぎることはない。
夕食が済んでから、最初に「さてと」の瞬間が来る。行動の分岐点である。大抵はそこでPCに向かい、ルーティンになっているサイト巡回をし、同じようにYoutube巡回もする。

巡回をひと通り終えるのは8時から9時半の間である。10時を過ぎることは滅多にない。巡回が早く終わると、「まだこんな時間か」と思い、巡回を続行する。遅い時間に終わると、「もうこんな時間か」と思い、他の作業をすることをやめてしまう。

つまり、すべては巡回がいけないのだ。

しかも、好きで巡回しているわけではないのだ。たとえば、一日に英単語を10個暗記することを義務づけていたとする。夕食後、単語帳と向き合わないといけないのだが、後回しにして、巡回をしてしまう。で、10時半とかになってから、白々しく「しまった!」とかぬかしている。オレの怠惰はそういう構造をしている。

(ちゃんとしないと)

と思っているのだが、7時半に夕食を終えたあと、たとえたったの5分でも、巡回以外のことをしようとすると、ものすごくめんどくさいと感じる。その5分を過ごすくらいなら、巡回の方がマシ、という理由で、巡回している。

このめんどくささは、どこからやってくるのだろう。

人類最大の敵は「めんどくさい」であると、古谷実『グリーンヒル』で関口が言っていた。当たっているなあと思う。
こいつとの戦いをどう制していくかを、真剣に考えないといけない。