正月の地震

朝7時起き。おせちを食べ、日本酒を飲む。母、9時に妹が迎えに来るので、早めにおめでとうしましょうと言っていた。日本酒は昨夜初詣に行った帰りにセブンイレブンで買った『酔鯨』という、山内容堂みたいな銘柄。

おせちは、京都祇園料亭「岩元」監修おせち匠、とかいうやつを買った。美味しかったが、一品ずつのボリュームが少なく、三段だったのに残さず食べることができた。

9時、母に妹からLINEがあり、母は出かけていった。墓参りをし、妹の旦那さんの実家へ挨拶にいくという、毎正月ごとのルーティンだった。

おせちの容器を片付け、一眠りして寝正月を堪能した。

お昼過ぎに起き、スマホで新しい学校のリーダーズの動画を見て過ごした。

4時頃、地震があった。自室でゴロゴロしていた。揺れが始まってから、いつものように三十数えた。揺れは大きくなることなく収まった。

その後、母が帰ってきた。「地震あったでしょ?」と言った。

母はテレビをつけた。震源地は能登で、すべてのテレビ番組は地震関連のニュースに差し替えられていた。能登半島に津波警報が出ていた。女性アナウンサーが張り詰めた声で避難を呼びかけていた。

夜になり、被害は徐々に明らかになっていった。津波の情報はまだなかったが、輪島では火災が発生していた。東日本大震災という経験を我々はしているから、津波の避難は速やかに行われたはずと想像した。倒壊などの被害状況はまだわからない。

関東大震災は、日本人に、地震がきたら火を止めて出口確保のためにドアをあけることを学ばせた。東日本大震災は、海の近くにいる場合はとにかく高いところに避難することを学ばせた。しかし、阪神大震災は、倒壊による被害が多かった。こればかりはどうしようもない。

夕食に、昨日作った年越し麺のつゆで雑煮を作り、お煮しめと一緒に食べた。

11時就寝。