久しぶりに武蔵野はらっぱ祭りに行った

8時半頃起床。

武蔵野はらっぱ祭りが昨日と今日開催されていることをSNSで知った。会場となる武蔵野公園くじら山広場は、以前住んでいた部屋から歩いて10分くらいのところにあり、何度か行ったことがある。

最後に行ったのは2003年だった。翌年は中止になった記憶がある。たしか、前年のはらっぱ祭りで、大麻解禁を訴える団体がちらしを撒いたとかで、近隣住民から苦情がきたのではなかったか。

ステージパフォーマンスの参加アーチストを見ると、14時台に知久寿焼が出演する予定だった。これは行くしかないと思い、12時に家を出た。

武蔵境から西武多摩川線に乗り換え、新小金井で下りた。駅前におにぎり専門店があるのだが、11月5日まで休みらしかった。

西武線の線路に沿って坂を下り、野川を渡って右に曲がり、川沿いを5分ほど進むと、お祭りの屋台が見えてきた。ステージではバンドが演奏していた。

屋台と、フリマスペースを一巡りし、ホットドッグとタコスを食べ、どぶろくの辛口を飲んだ。そのあたりで2時になったので、知久さんのライブを見るべく、ステージ前に陣取った。

歌が始まると、ステージ前にいたお客さんが自主的に座ったので、それにならって座った。知久さんの声はものすごく響いた。アンプを通しているとはいえ、持っている紙コップが震えた。40分ほどのステージだったが、「電車かもしれない」「らんちう」「月がみてたよ」など、昔からの定番曲をやってくれた。ギターの6弦を緩め始めた瞬間、(らんちう来るぞ)と思う感覚が懐かしかった。

はらっぱ祭りはノーギャラらしく、出演者は投げ銭がギャラになるようだったが、知久さんのステージが終わったとたん、見ていたお客さんが投げ銭をするため、我も我もとステージ前に殺到していた。

東小金井までゆっくり歩き、マックでコーヒーを飲みながら『爆弾犯の娘』を読んだ。犯人は元役者で、1970年頃、現代人劇場に所属していたらしい。ということは、蜷川幸雄、清水邦夫、石橋蓮司、蟹江敬三と一緒に演劇をやっていたということになる。アングラ全盛期だ。世の中を良い方向に変えたいと思っていたが、演劇だけでは足りないと思い、時限爆弾設置テロを実行した。警官が怪我をしたが、死者は出なかった。犯人は逃亡中に結婚し、娘が生まれ、妻に匿われるようにしながら、十数年生きてきた。

この娘が著者であり、親ガチャの話になってはいるのだが、育児放棄や虐待されたわけではない。普通でないことが不幸と感じる人ならば気の毒に思うだろうが、親が数千円おいて出ていったきり帰ってこず、洗濯機にお湯を入れてお風呂代わりにし、そこに妹を入れてあげる姉に比べたら、ずっとマシだ。その姉妹は著者の小学生時代のクラスメートだ。

5時40分、『宝華』へ。8人くらい並んでいた。20分ほど並んだ。

宝そばとライスセットを食べた。宝そばを食べ終わってから、ライスを丼に投入して食べた。この食べ方は絶対太る。

東小金井駅の成城石井で、チャーンビールとヒューガルデンホワイトを買った。

7時帰宅。

明日、紅葉を確認しに秩父へ行くため、Googleマップでなんとなしにコースを調べた。あとは、行ってみるしかない。

2時就寝。