昨日の回でボタンがとれてしまった。
智美さんから針と糸を借り、ちまちまと直す。
2時にマチネ開演。
台詞をいくつか間違えてしまう。
やはり本番前にはきちんと体を暖めておかないとダメだ。
無理にでも時間を確保しないと。
マグネシウムリボンのロゴを作ってくれたデザイナーの細田君と、学生時代からの知己である戸田君が見に来た。
衣装はついに左脇の部分が裂けてしまった。
針と糸を借り再び繕う。
そして、健ちゃんとアフタートーク導入の段取りを打ち合わせる。
慌しいままソワレに突入する。
色々なプレッシャーを振り切るためには、集中して一つの回を乗り切るしかないと思い、半ばやけになってテンションを上げた。
お客さんの反応の良さに助けられ、大過なくソワレ本番を終えることが出来た。
本番後、ステージ上にてアフタートークを行なう。
王子の野坂さん司会で、演出のことや台本のこと、スタッフワークのことなどを話していく。
野坂さんはあたりの柔らかい口調で司会を進めてくれたので、ともすれば饒舌になりがちな俺としては、冷静さを維持する意味で大変助けになった。
席上でふと、旗揚げ間もない頃のFMWを思い出した。
大仁田厚のプロレス団体FMWのことである。
当時空前のブームを迎えていた前田日明のUWFは、大会場で月一回試合を行うスタイルが定番だったが、ファンが直に交流できる場は極めて少なかった。
当時のUWFファンは、団体ではなく前田日明のカリスマ性にのみ声援を送っていたように思う。
一方FMWは、どんな場末の会場にも出向き、客層に合わせてデスマッチからお笑いプロレスまで幅広くこなしていた。
ファンとの交流会みたいなトークショーもやっていて、そこではマッチメークや運営面に関するファンの意見を真摯に聞く大仁田の姿が見られた。
アフタートークとは、つまりこの頃のFMW精神にのっとればいいのではなかろうか。
お客様に<感謝>するのではなく、<共に考える>場を用意するというスタンスだ。
そんなことにアフタートークの席上で気づくとは、恥ずかしくも遅すぎる話だが。
松本さんが7月にアフタートークを勧めてくれた理由も結局はそこら辺にあるのだろう。
作り手はついつい、プロジェクトという要塞にこもりがちになってしまう。
お客様にとって芝居の本番だけではわからないことが、アフタートークなどで腑に落ちれば、観劇体験が豊かなものになるかもしれない。
「なぜ、そこをああしたのか?」
「ここが不満だが、他に方法はなかったのか?」
「あの役はどういう意味で存在しているのか?」
台本では説明しきれない部分を補強できれば、お互いに良い関係を築ける。
しかし、それならアフタートーク以外にもなにか方法がありそうだ。
チャットを利用してみるとか。
アンケートの質問事項を工夫するとか。
いずれにしても、参加型のコンテンツを増やす意識が大切ということだ。
一人でなるほどなるほどと感じているうちに、舞台機構をお客様に見てもらうことになった。
舞台装置の出窓部分にお客様を案内する。
座るより、動きながら案内する方が、喋るのは楽だった。
10時にアフタートークは終了した。
王子小劇場の方々や、スタッフさんの協力なしにはできなかったことだ。
その場に<感謝神社>を作ってお賽銭を上納したい気分だった。
劇場を出て、白木屋へ。
先にそこで飲んでいた知り合い,友人、後輩などに合流する。
旬のブリみたいにたっぷりと脂がのったオギノ君と話す。
「僕のパソコンのハードディスクにはエロ動画がぎっしり詰まっていますよ」
挨拶代わりにそんなことを言われても困るのだが、挨拶代わりにそんなことを言うオギノ君だった。
尾池さんと三国志の話をする。
「今度、三国志の舞台をやるんですよ」
「ほんとですか?」
「ええ。今台本10ページくらいなんですけど」
「どのあたりの年代を扱うんですか?やはり黄巾の乱あたりからですか?」
「黄巾の乱までです」
「まで?」
「ええ」
「じゃあ、漢王朝がまだ元気ですよね」
「ええ」
「マニアックだなあ」
「三国志の知識なら誰にも負けない自信ありますよ。私の座右の銘は、魯粛の言葉です」
さすがにそれは知らなかった。
12時を過ぎ、大慌てで店を出る。
王子駅のホームに行くと、次に来る電車が12時28分だった。
中央線の終電に間に合わないと思ったので、すぐにオギノ君に電話する。
「オギノくーん、きみ、車だよねー」
よほど情けない声を出していたのか、オギノ君はすぐに、
「はいはい、わかりましたよ」
と言って、車を王子駅に回してくれた。
結局、小金井まで送ってもらった。
ありがたいことだ。
車中、オギノ君に今回の芝居の感想をいろいろ聞く。
1時過ぎ帰宅。