オイル交換ランプが点灯しているまま放っておくのもなんなので、中山君にメールをした。
夕方電話があり、出来るならば交換をしてくださいとのことだった。
そこで、久しぶりに東久留米のDSに行った。
バイクをピットに預け、オイル交換をしてもらう。
待ち時間中、『飛ぶ教室』を9割ほど読む。
交換後、学芸大劇団漠の新歓公演を見る。
演目は『天使は瞳を閉じて』
おおざっぱに言ってしまえば、<壁>によって放射能から守られた町を舞台に繰り広げられる人間模様である。
観客が反応するのは、能書きではなく、人間模様の部分であるということを強く感じる公演であった。
劇中たくさんあるダンスシーンをどうするのだろうと思っていたが、歌うシーンに差し替えていた。
ミュージカル風の演出だ。
そういえばミュージカル版『天使は瞳を閉じて』もあったな。
「イッツ、ショウタイム!」
という台詞の後に、ショウタイムのシーンがある。
これが、ダンスではなく、歌になっているわけだ。
ここで、町の人がショウタイムを楽しんでいるよう演出しなければならないのだが、さすがにリアリティは感じられない。
リアリティを出せと言われてもさすがに難しいだろう。
ウディ・アレンが『世界中にアイラブユー』を撮った時、初のミュージカルということで見るのを随分ためらった覚えがあるが、実際見てみたら実に楽しい映画だった。
あのウディ・アレンも普通に歌っていた。
ただし、うまくはなかった。
鼻歌のように歌い、それがドラマの流れ、役の気持ちとマッチしていた。
今回の芝居にこの鼻歌っぽさがあれば、もっと良くなっていたかもしれない。
それよりも重要なのは、人間模様の部分だろう。
町は幸福だ、という台詞があるが、誰一人幸福な人間はいない。
夢は決して叶わないし、愛している人の気持ちは離れていく。
壁を壊し続ける女の子(チハルとなっていた)、彼女だけは幸福だ。
壁が壊れたのは、町に住む人たちの<悲しみ><切なさ>が臨界点に達したからかもしれない。
そして、その悲しみの深さは、涙よりは笑顔で語られるはずだ。
泣けることはむしろ幸せであり、悲しいのに笑顔でいなければならないことの方が数倍辛い。
だが、漠の若い彼らはまだ体験していない辛さかもしれない。
理屈ではわかっていても、実際に体験したら、演劇どころじゃないだろう。
見終わって家に帰りながらそんなことを考えた。
しかし、入場するときに受付の女の子に、
「新入生ですか?」
と聞かれたのには参った。
「ビッグマック14個とハンバーガー8個とポテトのLを11個ください」
「こちらでお召し上がりですか?」
みたいなものだ。
「いえ、違います」
とまともに答える俺の間抜けさよ、そして悲しさ切なさよ。