6時半起き。朝飯に、大豆の水煮にタイカレー缶をかけて温めたものを食べた。
母、久々に喪服を着たところ、太ったためお腹がぱんぱんになったと嘆いていた。
8時半に式場へ。家族だけの集まりなので、葬式という感じがあまりしなかった。甥の長男は仕事関係、三男は学校の、それそれ制服を着ていた。
控え室で戒名の話を聞き、お経を読んでもらった。若いお坊さんで、緊張しているようだった。
お経の後、棺の中に色々な物を入れた。昨日精進落としで供えた寿司、数独の本、ハイライト、漫画。
父は『北斗の拳』が好きで、連載当時は毎週おれに少年ジャンプを買いに行かせた。そのため『北斗の拳』が連載されていた期間中はジャンプ代に困ることはなかった。ケンシロウとラオウの決戦が近づいている頃、南斗聖拳最後の将はユリアだと予想して当てたことを、三十年以上自慢していた。実家にある単行本から14巻を選び、山のフドウがケンシロウに、南斗最後の将はユリアだと告げるシーンを見開きにして、棺に入れた。
亡くなった日に末期の水をあげたように、甥の次男が買ってきた日本酒を花ですくい、父の口元を濡らした。みんなでよってたかってそれをやったので、飲み過ぎな感じになった。
そのようにしてお別れの時間を過ごした。ただ、着せ替えをして顔をきれいにしてもらったためか、棺の中にいるのは父ではないように思えて仕方がなかった。死ぬ前の、ヒゲが生え、髪が乱れていたままの方が良かったが、家族親戚一同、そんなことを思うのは誰もいなかろうと思い、黙っていた。
棺の蓋を閉じ、車に乗せ、斎場に向かった。外はいい天気だった。
瑞江の斎場に着くと、すぐ、棺を炉に送り出した。あっさりしたものだった。
控え室で小一時間待った。トイレに行き、少し斎場の中を歩いた。毛筆で書かれた『尊厳』という文字が壁に掛かっていた。
甥の次男が買ってきたどら焼きを食べ、お茶を飲み、呼び出しを待った。1時間ほどして放送があり、名前を呼ばれた。
お骨はかなり沢山残っていた。しっかりした骨格だったのだろう。係の人が、このままでは骨壺に入りきらないので、押して詰めてもよろしいですかと聞いてきたので、問題ないですと答えた。係の人は、大きすぎる骨は折ったり砕いたりしながら、苦心して骨を壺に入れていた。
骨壺を箱にしまい、埋葬許可証の説明を受けてから、タクシー待ちのためにお骨をいったんロビーへ運んだ。壺のせいか、骨の量のせいか、結構重かった。
十分ほどしてタクシーがきた。お骨を持ち、後部座席に座った。葬儀場に戻る途中、四歳の頃まで住んでいた町の近くを通ったので、妹に場所を説明した。
葬儀場に着き、置いてあった荷物を引き取り、歩いて実家まで帰った。普通、お骨を家まで運ぶ時は車を使うと思うのだが、葬儀場から実家までの距離が300メートルしかないため、歩いて運んだ。
父の部屋にお骨を置き、妹一家が線香をあげるのを待ってから、全員で近くのデニーズへ行った。そこで遅めの昼食をとった。
サーロインステーキの大きい方を頼んだ。「文句も言わずに運んできたんだから、これくらいのものを食べる資格はあるさ」と、ニック・アダムスのようなセリフを心の中でつぶやいた。
きたステーキは焼きすぎていて固かった。
ランチの後、妹一家と別れ、母と帰宅。
すぐに着替えて外へ。自転車のブレーキパッドを交換してもらうため、サイクルベースあさひへ。
昨年夏くらいからブレーキパッドが当たりっぱなしになっていたのだが、見てもらったところ、ブレーキパッドではなく車輪のスポークが折れたのだ原因だった。車輪とタイヤの交換に1万7千円かかると言われた。迷ったが、一昨年盗まれて昨年戻ってきた自転車なので、その縁を大事にしようと思い、修理を依頼した。
帰宅し、風呂に入り、夕食にあんかけチャーハンを作って食べた。あんかけチャーハンを作ったのは初めてだったが、かなり美味しくできた。
母に、寝る前にトリプトファンのサプリを飲ませた。落ち着きと、夜中に起きないために。
居間で12時頃までビールを飲み、就寝。