袋井クラウンメロンマラソン三度目の参加

5時50分起き。着替えてホテルの1階へ。朝食バイキングで、ご飯、やきそば、きんぴらごぼう、スクランブルエッグ、肉団子、ヨーグルト食べる。

もっと食べた方がいいかな? と思ったが、腹がけっこう膨れた感じがしたので、おかわりはせず。

部屋にもどり、7時40分まで、準備やストレッチをして過ごす。

ホテルを出て、会場のエコパアリーナに向かう。歩いて10分ちょっとで着いた。参加賞のTシャツをもらい、アリーナ客席に荷物を置いて着替え、貴重品を預けた。

フルマラソンのスタート時刻は9時10分だった。8時20分頃に、心拍数をいったん上げておくために外に出て、早いペースで200メートルくらい走ってはゆっくり戻ることを3回繰り返した。

外は寒かったので、アリーナに戻り、出走時間ぎりぎりのタイミングで外に出ることにし、ヒラメ筋ストレッチをし、シャワー室の場所を確認した。

8時34分にアリーナを出て、スタジアムに向かい、Bブロックの列に並んだ。やはり寒かった。

9時を過ぎた頃に、ランナーはスタジアムに入った。掲示板に、スタートまでの残り分数が表示されていた。

号砲が鳴り、計測用ボードの上をまたぎ、ランニングウォッチのスタートボタンを押した。気負いはなかった。たぶん4時間は切れないだろうが、完走はしたかった。前回完走したのは昨年11月の前橋だが、その時よりもまともな状態で完走できれば良かった。

心拍数が心配だったが、事前に上げておいたのが良かったのか、苦しさを感じることはなかった。

スタジアムを出てから、会場を反時計回りにぐるっと回り、駅からの道を横断してから会場を離れる。見覚えのある道だった。

5キロ前の登り坂を過ぎてから、下り坂があった。下りは逆らわずスピードを出して下った。

坂を下りきり、田んぼが広がる区画に出た。ここも見覚えのある道だった。この区画前後に10キロ地点があるのではなかったか。

ランニングウォッチの画面には、心拍数だけが表示されるようにした。10キロ地点では、149bpmくらいで走っていた。適度だったと思う。ペースが速いか遅いかはわからなかった。

10キロを過ぎてから再びアップダウンがあった。アップ時は心拍数が150を超え、ペースも落ちた。アップの後にあるダウンでは、ペースを上げても心拍数は下がっていった。

13キロか14キロあたりで、左足前腿の付け根が痛くなってきた。コンサートなどを観に行って長時間立っていると痛くなる部位だった。走っていて痛くなることはあまりないし、先日29キロ走った時も平気だだった。やはり、レースのペースで走ると違うのだろうか。

15キロを過ぎた頃、痛みがけっこうキツくなってきた。途中、どこかのタイミングでストレッチをしようと思った。

16キロ地点で、袋井高校の前を通った。チアリーディング部の女子がランナーを応援してくれていた。かっこよくてかわいかった。生で、直で、チアリーディングの応援波動を浴びると、走るエネルギーが湧いてきた。

今年5月の奥州マラソンでは、15キロからハーフまでのペースはキロ8分台に落ち込んだが、今日は一応、5分台を維持できているようだった。走る加減でわかった。

進路が東に向かう時は、追い風を背中に向けて走ることができた。風は、北西から吹いているようだった。

折り返し点前の給水ポイントでストレッチをした。

その先しばらく、コースは北に向かった。おそらく向かい風のためもあるだろうが、24キロ地点に達するまで、走るのがとてもしんどかった。へたりがやってきたと思った。

24キロ地点を過ぎてから、単純に「がんばろう」と思い、ペースが落ちていくのを防ぐように走った。すると、不思議なことにそこから先は、走るのが少し楽になった。持ち直した、という感覚だった。

コースを把握しているわけではなかったが、折り返し点を過ぎてしばらくすると、最北端の地点を過ぎるので、そこから先は北風を追い風として受けられるはずだと思った。実際、26キロ地点から先は、そのようにして走ることが出来た。

キロ8分台になるのはへたってからなので、走れているという意識が続いている限り、キロ6分から7分台は維持できるはずだった。へたりはいつやってくるのか。そう考えながら走り続けたのだが、32キロを過ぎてもなんとか走れていた。こうなると、あとは残り10キロになるので、気合いと根性でなんとかなる。

37キロ地点を過ぎてから、今回はへたらずに完走できそうだと思うことができた。しかし、39キロ地点を過ぎると、愛野駅からエコパへの長い坂が待っていた。へたりとは関係なく、この坂はキツかった。初めて参加した2015年の時も、「殺す気か!」とSNSでつぶやいた記憶がある。

なんとか上り終え、スタート直後のコースを逆走するようにして、スタジアムの中に入った。トラックを一周してゴールだったが、ラストスパートではなく、フォームをしっかりしてちゃんと走ろう、と心がけて走ると、結果的にラストスパートのごときものになり、前を走っていたランナーを6人くらい追い抜いてゴールした。

記録チップを外してもらってから、あわてて時計のストップボタンを押した。4時間19分だった。

荷物を持ってシャワー室へ行き、シャワーを浴び、着替えて貴重品を受け取り、走行タイム計測サイトを見た。すると、タイムは4時間24分となっていた。ランニングウォッチは、給水ポイントでストレッチをしている時などは、自動的に計測を止めてしまう。つまり今回は、そうやって止まっていた時間が5分以上あったということになる。ストレッチは20キロ地点以降の給水地点でマメに行った。それをやっていなければ、走れなくなったかもしれない。

大会名の由来となったメロンを食べた。冷凍されていたらしく、芯がやや凍っていた。給水ポイントの一ヶ所でもキューブ状にカットされたメロンを食べたが、それも凍っていて冷たかった。袋井メロンマラソンは2020年から2022年まで中止となり、昨年は再開されたものの、フルマラソンは行われなかった。だから今年は、2019年以来5年ぶりの開催となった。それと関係あるのかどうかはわからないが、大会の規模が2018年と比べて小さくなったような気がした。2018年はエコパアリーナに荷物置き場を設けて、ボランティアの中学生が荷物受付をしていたが、今年は荷物は各自が客席に置いてまとめ、貴重品のみ預けるというスタイルになっていた。

愛野駅に着くと、熱海行きの電車がホームに入ってくるところだったので、走って改札を抜けた。フルマラソン後なのに、けっこう速く走れた。

どこかの駅で降りて、ひとり打ち上げをしようかと思ったが、このまままっすぐ帰っても帰宅時刻は7時過ぎになることがわかったので、まっすぐ帰ることにした。

『砂丘の子供たち』をひたすら読んだ。

熱海で東海道線に乗り換え、小田原で小田急線に乗り換えた。

7時前に永福町着。

夕食に『大勝軒』で中華麺生卵付きを食べた。今日は、この大盛りラーメンを大いばりで食べる資格があるだろう。

キッチンコートでビールとハイボールを買い、8時前帰宅。シャワーを浴び、荷物を片付け、ビールを飲む。

最近完走したフルマラソン大会と比べると、今日は2020年の渡良瀬遊水地マラソンと同じくらい、キツさにおいては楽だった。というより、へたりがなかった。

しかし、タイム自体は特に速くはなく、2021年4月に走った鶴見川マラソンよりも遅かった。鶴見川の時はラストにへたったというのに。

へたっても、それが何キロ地点であるのかと、そこまでに蓄積した走行タイム貯金によっては、まあまあの完走タイムになる。初めてフルマラソンを走った2008年の荒川も、前半、かなり飛ばしていたのと、後半で左足のマメをつぶしたのは35キロ地点だったので、ネットタイムは4時間2分だった。この時、シューズ選びを間違えていなかったら、絶対にサブ4を達成していたと思う。今の儂の頭で、この時の儂の肉体があればのう。

11時就寝。