うさん臭い時代の前夜

午前中、ドキュメント作業。そろそろ終わりそうだが、一つ一つが面倒。

『昭和史 戦後編』読了。戦後のゴールは昭和47年の沖縄返還で、そこから昭和63年までは後日談として扱われていた。後日談時代は現在に通じている感覚があり、となるとそれは現代史であるからだそう。

後日談時代の終わりに、日本はバブル経済最盛期を迎えた。リアタイであの時代を知る者としては、ただ金があっただけの時代だと思う。その金も、国民に等しく還元されていたわけではなく、狂乱地価によって庶民が東京に家を建てるのは不可能とされていた。

80年代という時代は、70年代へのカウンターであったため、貧乏臭さをことのほか嫌う風潮があった。バブル時代はその延長線上にあった。しかし、嫌おうが、普通の若者は宿命的に貧乏であるし、トレンディドラマに出てきたようなマンションに初任給で住める若者など、ほとんどいなかったと思う。オレか初めて一人暮らしをしたのはバブル崩壊の後だったが、築二十五年の木造風呂なし6畳アパートだった。

80年代のうさん臭さは、時代が金のあるフリをする態度を求めていた部分にあったと思う。まるで、東京の山手線内全体にドレスコードが敷かれているような時代だった。

90年代は、80年代へのカウンターであった。自分は90年代の若者であったので、その風潮は大変心地よかった。貧乏であっても、80年代の時よりも恥ずかしくなかった。バブルが崩壊していたということもあり、ある意味で、バブル時代のウハウハカルチャーに対して、ざまあみろという気分があった。

しかし、バブル崩壊一年目の1991年から2025年までの34年間は、終戦の1945年から沖縄返還の1972年までの27年間より、すでに7年も長くなっている。1945年から34年後というと1979年。うさん臭い80年代が始まる一年前だ。

バブル崩壊もひとつの終戦ととらえると、来年から日本はまた、うさん臭い時代に突入していくのだろうか? すでにうさん臭い時代ではあるが。

午後、ドキュメント作業、あとひと息というところで終える。また、別件でどさん子クライアントから依頼がきたので、それも少しやる。1月に受けた依頼の延長線上にあるものだったので、ちょちょいのちょいで終わるやつだ。

夜、喜多方ラーメンの生ラーメンと、コロッケパン食べる。

いつか見ようと思ってちまちま録画していた映画や、Amazon Prime 、Netflix で視聴できる映画を、ちびちびつまみ見る。Amazon Prime の映像を見ると、画面がチラチラする時がある。テレビだけでAmazon Prime の視聴ができるのだが、PCモニターとして使いながら、ブラウザ経由でAmazon Prime を視聴することが多いため、テレビの設定をモニター向けにした方がいいようだ。

でかい画面にすると、やはり映画を見るのが楽しい。黒澤明の『赤ひげ』など、DVDを再生するとぼやけるだろうと思っていたが、美術の木目が大きくはっきり映っていたので、感動した。