6時起き。河内祥輔『頼朝の時代』読む。
朝飯に、ご飯、鮭、納豆、味噌汁。
9時50分まで二度寝し、起きて『サンデー・ジャポン』見る。東野幸治がゲスト。語りにくい話題では、言葉を選んで慎重にコメントし、大田光のいじりに、打てば響くように反応していた。大田さんもいじりがいがあったろうなあ。
昼、『一番』の、マヨ明太DX弁当を食べた。
2時半、走りに行く。葛西中央通りから今井街道をまっすぐ小松川橋まで走り、橋を渡って小松川千本桜で写真を撮った。そのあたりは高校時代の通学路だが、90年代から2000年代にかけて広い範囲に土が盛られ、ニュータウン化されスーパー堤防が形成された。千本桜はスーパー堤防の上にある。高校時代の通学路は、その地面を20メートルほど掘ったあたりにある。






埋め立てた土の上に植えたせいか、頻繁に剪定をしているせいか、植栽されて20年ちょっと経つのに、桜の木はそれほど大きくなかった。昼過ぎに30分ほど強い雨がふったせいか、ビニールシートを敷いて宴会をする花見客の姿はなかった。
ロックゲートまで走り、旧中川を渡って、仙台堀川公園を南に走った。公園にも桜が植えられていたが、こちらは小松川千本桜よりさらに小さかった。
葛西橋通りを渡り、旧トピレックプラザのゲートをくぐり、永代通りを左折し、清砂大橋を渡って、走行距離が13キロになったところでランニング終了。実家まで400メートルほどゆっくり歩いて帰宅。
風呂に入り、5時45分頃に実家を出る。母ととんかつの『田』へ。夕食にヒレカツ定食を食べた。カツが美味いのは当然として、ごはん、味噌汁、漬物がそれぞれ美味いのと、千切りキャベツが柔らかくて瑞々しいのが好きだ。店員さんの接客も、マニュアルを感じさせない親しみやすさがあって好きだ。
店の前で母と別れ、7時半帰宅。
吉田豪のYoutube で、船木誠勝と鈴木みのるの回をそれぞれ見る。船木さんはYoutube 歴がそれなりにあるためか、受け答えの滑舌がしっかりしていて聞きやすかった。みのるさんは、後半の視聴者インタビューでは若干塩対応だったが、前半は嘘偽りなく語っていて、こちらも面白かった。
パンクラスの絶頂期はいつだろうと考えた。たぶん1994年だろう。強さ、見た目、未来が開けている感じ、すべてにおいてこの年が最高だったと思う。伝説の船木vs鈴木戦もあった。
90年代前半はプロレスバブルだったのだ。感覚的には、1996年頃までがそうだった。Youtube でみのるさんが、U系から派生した新団体がどこも1万人規模のでかい箱で興行を打っていたことが、今さらながらすごかったと語っていた。当時はそういうものだと思っていたが、言われてみれば確かにそうだ。
1996年と1997年が、興行人気におけるプロレスと格闘技の転換期だったように思う。1996年頃からK-1人気が過熱した。アンディ・フグのK1-GP優勝が大きかった。1997年からはPRIDEか開催された。1997年はJWPのプラム麻里子がリング禍で亡くなり、全女が倒産し、高田がヒクソンに負けた。90年代前半プロレスバブルを、『最強』というキーワードで牽引した高田が負けたということが大きかった。
ただ、時期が悪かったとは思う。1997年の高田と1993年の高田を写真で比べてみればわかる。1997年の高田は1993年の高田に勝てないだろう。圧が違う。
Youtube に、1993年に放送されたプロレス特番がアップされていた。新日や女子プロレスの他に、Uインターの道場も取材されており、最強時代の高田がいた。間違いなく強そうだった。ああ、こんな感じだったなあと、懐かしく見た。高田延彦公式飲料が飲みたくなった。