午後、東小金井へ。
先週、漠のチラシ折り込みの帰りに寄った「宝華」に、今度は漠の芝居を見に行く前に寄る。
チャーシュー宝そばセットを頼む。
昼飯時と夕飯時の間で、店はそれほど混んでいなかった。
マスターは、小休止かなという感じでリラックスしていた。
食べ終わり、国分寺へ。
街が消えてしまった、見慣れぬ北口から、学芸大まで歩く。
開演まで間があったので、農場あたりからぶらぶらと、サークル新棟裏まで歩く。
木のベンチに座り、ぼんやりしていたら、たばこを吸っている初老の男性から声をかけられた。
「マグネシウムの方ですか?」
びっくりして、
「え、はい、そうですが、うちのマサルがなにか?」
みたいに、三年B組金八先生、加藤優の母親みたいな反応をしてしまった。
かっすんのお父様だった。
つまり去年の「トウガラシライフ」をご覧になっているわけだ。
なんだか、謝罪のひとつでもしたいような、情けない気持ちに一瞬なりかけたが、カフェ横の高い自動販売機で缶コーヒーを買って飲み、やり過ごした。
卒業公演は三本立てだった。
一本目は、「トウガラシ」で受付手伝いをしてくれた哲平君の作・演出もの。
なんだかわからないが、先輩後輩関係と、熱さと、胴上げ出来ないけどその分芝居に還元しますという後輩の思いみたいなものが渾然一体となった、いい短編だった。
二本目は、難波絵さん作・演出の作品。
結婚式場で、式のリハーサルをする係の女性と、実際に結婚する女性の話。
そこからストーリーは、これまでの漠で見たこともなかった、素晴らしくも同時代的な、ガールズトークものになっていった。
作為的に作ろうとするガールズトークものはうさんくさいが、本当にガールズトークになっているものは出演者の身内からの批判がきつかったりする。
「あれは、いつもの彼女らの、普通の喋りですから」
完全に第三者として観劇できたので、ガールズトークを芝居にすることの、良き部分をたっぷりと味わうことができた。
花道を作れる劇場を借りれば、チケット代2500円でも全然高くない作品だと思う。
三本目は岡本さんの作品。
今回の卒公は、三本ともオリジナル作品なのだ。
いいことだ。
大きい書店に行っても、戯曲コーナーには、今自分達がやりたい芝居の戯曲が置いていない、そういう時代だろう、今は。
だったら、書くしかない。書いてみるしかないだろう。
回顧。
おれが漠部員だった頃は、「新劇」「テアトロ」という月刊誌があり、巻末に戯曲が載っていた。
発売日の少し前に上演された作品が多かったから、見に行けなかった舞台の内容を戯曲で確認するということもあったな。
本として出版されなかったのも結構あるはずだ。
今、漠の子達は、どこから上演用の戯曲を探しているんだろう。
インターネットだろうか?
でも、かつての「新劇」「テアトロ」時代に比べると、インターネットで公開されている戯曲のレベルは玉石混淆だ。
玉よりも石の方が多い。
昔、10年以上前に、とあるサイトに自分の台本を登録したことがあった。
去年の暮れに四国の大学生からツイッター経由でDMが来た。
上演許可願いだった。
登録したことさえ忘れていた。
わざわざツイッターのおれのアカウントを探してまでメッセージをくれたことに好感が持てたので、いかようにも上演してください、遠方のため見には行かれませんが、公演の成功をお祈りしています、なんてことを書いて送った。
岡本さんの作品が、今回の卒公のメインコンテンツのようだった。
出演者も多く、アクションも多く、上演時間も長かった。
アクションに関しては、これはここ数年の流行りだろうなあと思う。
そういうアクション場面を挿入する芝居が急増しているし、何本も見ている。
我々の時代に、第三舞台の影響で、やたらにダンスシーンを挿入する芝居が多かったのと一緒だと思う。
哲平くん、役者として出ていた。
アクションシーンの武器が、スコップ。
「お前はトルネコか」
と心の中でツッコミながら見ていたが、演技のはじけ方はかなりのものだった。
芹川と知恵が見に来ていた。
セリが、難波江さんの作品の途中で入ってきたのは知っていた。
知恵ちゃんは三本目の時から見始めたらしい。
難波江さんに挨拶をしようと思って近づいたら、彼女はセリと知恵に気づき、
「マグネシウムの方ですね」
と、二人に近寄っていった。
1997年旗揚げ以来一貫してマグネシウムリボンの主宰であり全作品の作演出をこなしなおかつ過去多くの劇団漠部員をマグネシウムリボン公演に出演させ外部とのパイプとなりさらには劇団漠のOBでもあるこの俺この塚本健一をスルーして、難波江さんはセリちえに挨拶していたよ。
そのことを涙ながらにかっすんに愚痴ると、
「いつも写真撮影で逃げるからですよ」
と叱られた。
でもな。後輩。
お前らもいずれ卒業してOBになるんだ。
卒業して一年経ち、最初の卒公は、楽しいんだ。
自分達の最初の後輩がやる卒公だからな。
でもな、その次の年になると、知っている部員より知らない部員の方が多くなるんだ。
かつて「劇団漠」に含まれる存在だった自分が、異分子になっていることに、否が応でも気づくんだ。
この時初めて、OBは制作発表と写真撮影を遠慮し始める。
そして次の年だ。
自分らが4年の時に1年だった連中の卒業公演だ。
もはや、見に行く者の方が少ないぞ。
前の年に経験した異分子体験とか。
「もう知ってる子ほとんどいないしー」
とかなんとか。
だから、俺なんかがいまだに見に行ってるのは、異常なんだよ。
後輩の芝居にあれこれ口出しなんて、できるわけがない。
自由に自由に、自由にやってくれと思うし、自由にやってくれと俺が思ってるってことを、今の部員の誰にも知られたくないほど、自由にやって欲しいよ。
知ったら、
「ドカさんは、自由にやって欲しいって、思ってる」
って、なるだろう? それ、自由か?
難波江さんには、袖を引き、隅っこで作品の内容について話せた。
「どうやって書いたの?」
云々。
インプロ的手法だと思ったが、インプロより面白かったのは、インプロそのものではなかったからだろう。
やっぱり、芝居だったんだ。
芹川知恵ちゃんは武蔵小金井から来たという。
「国分寺まで歩いた方が早いから」
と、正門前から国分寺まで一緒に帰る。
外は寒かった。
「宝華」で宝そばを食べていた時間帯は、むしろ汗ばむほどだったのに。
結構ふらふらになって帰宅。
明日から三日間ファスティングをする予定。