ブログの更新はブラウザを介して行えるので、いつでもどこでもの趣がある。
ネットカフェでも更新ができるというわけで便利なのだけど、たとえば書いている途中でEscキーを押したりすると、フォームに書いた文章が一瞬にして消滅することになる。
アンドゥもできないので、脱力感は甚だしい。
テキストエディタに本文を書いて、最後にコピペするのが一番安全だ。
今日に限ってブラウザで直接入力をしたのが失敗だった。
150行くらいの文章がついさっき一瞬で消えてしまった。
一からやり直しだ。
昼過ぎ、竹橋の東京国立近代美術館へ行き、「琳派 RIMPA」展を見る。
尾形光琳の「風神雷神」が展示されていた。
館内は非常に混雑しており、全体を隈無く見ることはできなかった。
見終わってから上の階に行き、所蔵品展を見る。
「近代日本の美術」というテーマで作品が展示されていた。
日本画というものを間近に見るのは初めてだった。
鏑木清方の作品があった。
「アッツ島玉砕」という絵があった。
戦争への嫌悪をかき立てられるような作品なのに、戦争中の1943年に描かれたことが不思議だった。
発表は戦後だったのだろうか。
岡本太郎の作品もあった。
1分くらい眺めていると、目がちかちかしてきた。
色彩が網膜をちくちく刺激するような絵だった。
3時半に館を出て、神保町の古本屋街へ行く。
土曜日だからか、歩く人の数はそれほど多くなく、3年前に行ったときに比べて街がほんの少し寂れているように思えた。
気のせいだろうか。
三省堂裏のシャノアールでコーヒーを飲み、すずらん通りにある名も知らぬ小さな古本屋へ行く。
そこは、サブカルチャー系の本がぎっしりと置かれた店だった。
井原高忠「元祖テレビ屋大奮戦」や、竹中労のルポルタージュ本、プロレス関係のレア本、キャンディーズの写真集など、探してもなかなか見つからない本が置いてあり、定価よりやや高値で売られていた。
本の価値が正しく評定されているから、高値で売られているのだ。
それゆえに購買意欲が高まるということもある。
買おうかどうかずいぶん悩んだ末にあきらめる。
<ずいぶん悩む>というプロセスを古本屋で感じるのは、喜びの時間なのだ。
夜、いくら丼を食べる。
昨日つけたいくらは、醤油が多すぎる嫌いがあったものの、食感はプチプチしておいしかった。
おろしたイワシは味噌、生姜と共にたたいて、フライパンで焼いて食べた。
うるめイワシを最近まったく見かけない。
漁獲高が激減している影響だろうか。
塩水にさらしてから干物にして食べるために、去年の4月に干すための網を買ったのだが、思えばその頃からうるめイワシを見かけなくなった。
仕方ないので開いた鰺を干したり、イカを干したりしている。
でも本当はうるめイワシが簡単でいい。