荘厳さを柱に

 鈴木忠志『内角の和』読む。
 60年代から70年代にかけて書かれた演劇に関する文章をまとめたもの。
 一貫しているのは、戯曲としての充実と、舞台としての充実を、厳然と区別すること。
 読み終えて間もない今は、そのくらいしかわからない。
 これからじわじわと、ボディーブローのように効いてくるかもしれない。

 山崎努『俳優のノート』も9割読み終える。
 稽古中、些末なことで稽古を止める某役者へのいらいらが正直に書かれていて面白い。
 演出は鵜山仁さんで、そうした役者の言葉を丁寧に聞いている。
 山崎努はそれを、辛抱強いことだと評している。

 質問攻めにする役者にもタイプがあると思う。
 質問そのものの数は少ないが、ひとたび質問したらとことん食い下がるタイプ。
 どうでもいいことを稽古のたびに質問していくタイプ。
 後者の場合は、質問そのものよりも、演出家とコミュニケーションがとれている状況を自分に味わわせることが目的だと思う。
 自分が役者として参加していたら、
 (そんな質問どうでもいいじゃねえか)
 と心の中でつぶやくが、演出しているときは、
 (はき出せるだけはき出させてあげよう)
 と思う。

 だから、質問を聞いてあげる鵜山さんは、人に対して実にまっとうな対処の仕方をしているなあと関心もするし、山崎努のイライラもまたよーくわかる。

 共演者の、余貴美子さん、渡辺いっけいさんへの視線が優しい。
 『リア王』上演時、山崎努はすでに還暦を迎えている。
 役者としての、幸福な晩年だ。

 夕方、代田橋から和泉へ少し入ったところにある大勝軒でラーメンを頼んだら、永福町系の大勝軒だったらしく、ふた玉分のラーメンが出てきた。
 食べ終わって外に出ると日が暮れかけており、なぜか急に鬱になる。

 9時、ジョギング。
 せめて体を疲労させないと、バランスが崩れそう。

 走りながら12月の台本を考える。
 演じ始めた瞬間、ものが現れ、演じることをやめたらそれが消える。
 そういう舞台にしたい。
 本物の小道具は使わない。
 見立てることで、それが本物に見える瞬間をつくりたい。

 荘厳さを出したい。
 『第九』のような。
 『罪と罰』のような。

 本棚から『罪と罰』を出す。ほこりだらけだ。
 たぶん、最後に読んでから10年以上経っている。
 久々にページを開いてみると、意外と字が大きいのにびっくりした。
 トルストイの『戦争と平和』と比べると歴然としている。