台本書きにおける日記の役割

西荻で稽古。
パソコンを稽古場に持ち込み、役者のアップ時間中にラストへの台本を書いた。

後半を中心に稽古をし、休憩を挟んでからできたところの通しをする。
上演時間は1時間40分から50分の間といったところになるだろう。
制作チーフ松本健より受けていた「2時間は超えないように」という厳命は守れそうだ。
その代わり書くために取材したりノートをとったりしたデータのうち、芝居に使われないものの方が多くなった。
若い頃なら捨てるのがもったいないと思い、結果的に3時間近い芝居を書いていたかも知れない。

8月の時点では、幻想的なものにしようと思っていた。
9月に取材をした時は、人よりも町に興味が出てきた。
10月にドストエフスキー読みをした時は、個人の苦悩を描きたいと思った。
同時にプレ稽古の感触から、コント的なシーンを多用できるかと思い、親戚関係について話し合ったことから、家族のドラマもありうると考えた。
10月末に撮影をしに行って、森の比重が大きくなった。
11月の稽古始めの頃は、それまで考えてきたどの要素が突出していくのかわからなかった。
稽古をしていくうちに、ドッペルゲンガーについて考えるようになった。

タイトルは真っ先に思い浮かんだ。
(俺にしちゃ、珍しいのかな?)
と思ったが、考えてみれば最近の公演はずっとそうだ。
『光陰』や『ハコブネ』あたりは、タイトルが決まるのが遅かったと記憶している。

日記も長くつけていると、過去公演の頃に自分が何を考えたのかがわかる。
読み返すと、自分では意識していない<傾向>がわかる。
台本完成が近づくといつも、過去公演の台本完成直前で自分が何を考えたのかチェックしている。
同じ轍を踏まないように用心する意味もある。
そうか、この日記はそういう意味では、台本書きツールとして役立っているのか。
今気づいた。

夜、納豆カレーなるものを食べる。
豆乳ベースで、実に旨かった。