小沢氏辞任撤回

『ねじまき鳥クロニクル』2巻読む。
何度も何度も読み返した本なので、ページがすいすいめくれる。

全3巻あるのだが、2巻まではそれほど<不思議なこと>は起こらない。
ギターケースの男がぼろアパートに入るあたりなど、非常におっかないのだが、起こりえないことではない。

一番重要なのは3巻だと思う。
ある意味で1巻と2巻は、目に見えている現実は必ずしも見えている通りのものではないということに、読者を慣れさせるために存在している。

夜、小沢一郎が辞任を撤回したとニュースで知る。
選挙は勝たねばならぬし、勝った以上辞任は無責任と言われるのは仕方ない。
時期尚早ということだろう。

二大政党制を実現させるためには、政党の代表というポジションはもっとも好ましくない。
というより、政治家という立場からして好ましくないだろう。
党や派閥の理念から距離を置いた立場で、選挙に影響を与えるポジションとなると?
もしかすると、元・大物政治家という立場の、引退した議員かもしれん。
たとえば小沢一郎がこの先辞任して、二大政党制に移行するために必要な知識を市民に啓蒙する活動をしたら、それは自民にとっても民主にとっても毒に聞こえる意見かもしれない。
実現したからといってよい政治が始まるというわけではまったくないが。
だが、今のシステムで日本の政治を新しいステップに進ませることは不可能だと思う。
人為的に成立した二大政党制は、世界に例があるのだろうか?

「大きくなったら総理大臣になりたいです」
こんなことを言う子供が、30年前にはたくさんいたが、今はいない。
日本で一番賢くてリーダーシップがある人物を、他の分野から探してきて総理大臣になってもらっても、野党・マスコミ・国民の不満と批判のサンドバッグになるだけだろう。
じゃあ不満を言っちゃいけないのか、という話でもないし。

この状態は、潜在的に独裁者を育てているんじゃないだろうか。
ヒトラー以前のドイツや、ナポレオン以前のフランスみたいに。

小沢一郎の豪腕は、責任の方向性が旧来秩序の維持である場合においては、無責任であるべきなのだろう。
それが民主党離れに結びついてしまうのは、今の段階では時期尚早ということだろうか。

有権者としては、今後もやはり新しい政権与党を作る方向で投票を続けていきたい。
単純に考えれば、野党第一党に投票する感覚だろうかと、わからないなりに考えている。