オールナイトフジを思い返す

朝、駐輪場を見ても自転車は戻ってきていなかった。隣の自転車もないままだった。

朝飯に焼きうどん、瓜のぬか漬け、味噌汁。
瓜のぬか漬けは土曜日に漬けた。ぬか漬けを始めたのは、昨年、瓜の乳酸菌漬けに失敗したのがきっかけだったが、その後瓜を見かけることがなかった。だから今回漬けたのは宿願を果たしたことになる。なかなか美味く漬かっていた。

台風10号の影響か、一日中雨が降ったりやんだりしていた。

健康診断結果がきた。
8月半ば、江戸川のコンクリート護岸に思いっきりセントーンをかましたため、その後2週間ほど、右側の背中が痛かった。健康診断の数日前くらいに痛みは治まってきたのだが、たぶんその影響か、腎臓の右側がちょっと痛んでいたようだ。とはいえ、結果が極悪だったわけではなく、エコー検査で内臓の右側がちょっと固くなっていると出た。
コレステロールと尿酸値が悪化していた。これは糖質制限に関係していると思われる。血圧は上が108、下が79だった。

リモートワーク関連の話し合いをする。うちで作業をするとなると、リラックスしすぎて効率が悪くなったりしないかが気になる。

夕食に、小松菜と豚肉の炒め物、味噌汁、瓜のぬか漬け食べる。

炭酸で薄めたお酢を飲んだ。一昨年から昨年にかけて、お酢を飲むことが緩い習慣になっていたが、今年は全然飲んでいなかった。

昔録画していた『オールナイトフジ』のビデオを見返す。89年3月に放送された300回記念は、なぜか途中で女囚ものの映画が重ね録りされていた。しかし、ネットにアップされている動画で後半部分を再見することができた。とんねるずの舎弟コーナー部分など。
300回記念放送は、憲さんが酔っ払い、面白さが無双状態になっている。とんねるずの昔のコーナーを再現し、あまり面白くないあるあるネタを貴さんが言っていくのだが、反応を見てからツッコむ憲さんの間と言葉選びがすごく、手に負えない面白さだった。
おでこに点線を引き、昔と比べて生え際が後退したことを示すメークも、この時の憲さんが最初にやった。以前、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で有田がやっているのを見て、この人もオールナイトフジ300回記念放送を見たんだろうなあと思ったものだ。

オールナイトフジを見ていたのは、とんねるずだけが目当てだったからではない。鶴太郎劇団も好きだったし、他の芸人によるコントコーナーも好きだった。番組最初に流れる「終了時間未定」というテロップも、当時はワクワクして眺めていた。番組を見ていると、宴会に参加しているような気分になった。それが楽しかったのだ。

『夕やけニャンニャン』は、アルコールなしの『オールナイトフジ』だったと思う。初期の司会は鶴太郎だったし、とんねるずも出ていたし。

この頃の鶴太郎はほんとうに面白かった。同じようなことを吉田豪が言っていたと思う。しかし、1988年の映画『異人たちとの夏』あたりから下品路線を封印してしまった。300回記念放送の時は、自分の過去出演場面を見て、ひたすら恥ずかしがっていた。わずか1年ちょっと前に鶴太郎劇団で下ネタコントをしていたのに。

ビートたけしのフライデー事件が、鶴さんの意識に大きな影響を及ぼしているのではないか。そもそも鶴さんは、ビートたけしのオールナイトニッポンに出ていた若手芸人たちの一人だったし、太田プロの先輩後輩の関係だった。しかし、たけし謹慎期間中は、明石家さんまとともに『ひょうきん族』を背負い、太田プロの一番手になっていた。たけし復帰後の『ひょうきん族』を見ていると、二人の距離感は、微妙なものになっているように感じた。コンビでコントをやることが少なくなっていた。おでんネタはあったが、内心、このままのポジションでやっていけるのだろうかという、忸怩たるものがあったのではないか。

90年代に入り鶴太郎はお笑いをほとんどやらなくなった。たまにバラエティ番組に出る時もあったが、どこか無理をしているように感じた。『オールナイトフジ』の最終回はビデオによる挨拶のみの出演だった。ビートたけしとの共演もなかった。もったいなかったなあと思う。

鶴太郎劇団にレギュラー出演していた古田千恵美さんが好きだった。ショートカットで、いつも男役のかつらをつけ、鶴太郎の相手役をしていた。タレントになることなく、大学を卒業してからは普通に就職されたらしい。そういうところがいい。

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