荒川市民マラソン本番

6時起床。
ご飯を2杯、お茶漬けを1杯食べる。
7時に出発。

新宿で埼京線に乗り換える頃から、トレーニングウェア姿の人の姿が目につき始め、池袋を過ぎると車内のほとんどを占める。
浮間舟渡駅で大量の乗客が降り、エスカレーターと階段は人の流れをさばききれず、ホームは人でごった返していた。

駅からは歩いて会場へ。
歩きながらヴァームゼリーを飲む。
人の流れからはずれ、一人でわき道を歩くが、時々アップをしているランナーの姿を見かけた。

8時10分に会場到着。
服の下にゼッケンをつけたユニフォームをすでに着ていたので、更衣室に行く手間が省けた。
荷物を預け、スタート地点へ。
全体から見て70パーセント後ろの位置で、先頭は遙か前方に見えた。

開会式でローカルなラッパ隊の演奏あり。
曲目は「宇宙戦艦ヤマト」
良い意味で町内会的な<しょぼさ>があり、ほのぼのとした気分になった。

9時にスタート。
すぐには走れず。
10分くらいして前の列が歩き出し、のろのろとスタートゲートを通過した。

5キロ地点より手前の橋に、小学二年生くらいのチアリーダー軍団がいた。
四等身を元気良く動かし、
「Go!」
と応援してくれた。

5キロ地点の時計は37分台をさしていた。
スタートしてからゲートをくぐるまで10分前後かかったと推測する。
腕時計をしてこなかったので、コースに設置された時計が頼りだった。

ipodをしているランナーが結構いた。

5キロから10キロ地点にかけて徐々に追い越しを始める。
人が多すぎてコースを少しはみ出さないと抜けなかった。
四つ木あたりで道幅がせばまり、大渋滞が起こることがあると聞き、それまでに少しでも前に行っておきたかった。

10キロ通過時のタイムは1時間2分だった。
5キロ地点からおよそ25分。
全体のペースが落ち着いてきた。
無理な追い越しをせず、一定のペースで走ることを心がける。

14キロ地点で初給水。

四つ木への狭い道にかけ、再びランナーの密集度が高まった。
だが、渋滞するほどではなかった。

小松川橋をくぐり抜けた先に折り返し地点があった。
タイムは1時間57分だった。

復路は堤防の一番高いところを走った。
折り返して間もなく、我が母校の小松川高校が左手に見えた。
気のせいか時計台が少し低くなったように見えた。

左腿の筋肉がこわばってきた。
24キロの給水ポイントで水とブドウ糖を補給する。
瞬時に体が熱くなった。

25キロを過ぎるとペースが落ち始めた。
周りのランナーもそれは同様だった。

28キロ地点を過ぎた時、
(3分の2まできたか)
と思ったが、そのあたりから腿の筋肉が悲鳴を上げ始める。

30キロ地点を通過し、給水ポイントでザバスを飲む。
ここから先はすべての給水ポイントで給水した。
走りながら受け取るほどのスピードはもはや出せないため、止まって飲み干し、再び走った。
止まったわずかの時間を使って屈伸をし、筋肉の張りをやわらげた。
案外効果があり、屈伸後は走るのがほんの少し楽になった。

35キロ地点を過ぎた時、左足の小指で何かがはじける感触があり、直後に小指が猛烈に熱くなった。
(こりゃ、豆がつぶれたな)
と思った。
折り返し地点までは豆ができた感覚がなかったので、左腿の筋肉が張り始めたあたりから急激に形成されたと思しい。
足をかばう走り方をしたのと、ランニングシューズは遊びが少ないことが重なったのだろう。

そこから先はどうしても左足を引きずるような走り方になってしまった。
沿道の人が、
「あと5キロだよ!」
と激励してくれたが、その声もあまり耳に入らなかった。

そのあたりで、往路の時応援してくれた小学二年生チアリーディング軍団が、広場の滑り台でキャーキャー言いながら遊んでいるのを見た。
「応援おしまいね? もう遊んでいいのね?」
という会話がママと交わされたのだろうか。
解き放たれた四等身どもが柴犬のように広場を駆け回っているのを横目で見つつ、第二次大戦で捕虜になりソ連に連行される時のドイツ軍兵士に自分を見立てる。
悲しい気持ちになる。
周りには息も絶え絶えな兵士達が足を引きずっている。
なぜ栄光のゴール近くでそんな空想をしなければならないのか。
クレイジーキャッツ『これが男の生きる道』が脳内に流れる。

♪帰りに買った福神漬けで 一人さみしく冷や飯食えば?

歌の途中で右足の小指が破裂した。
40キロ地点。
ゴールまであと2キロ。
されど両小指の豆破裂。
翼の折れたエンジェル状態。

しかし、両足の豆をつぶしたことでフォームのバランスはかえって良くなった。
沿道に鬼コーチ風のおじさんが立ち、よろよろの我々に檄を飛ばす。

「オラオラ腕しっかり降ってぇ! 足が前に進むからぁ!」

ほんとだった。

ゴール地点の時計は、4時間11分をさしていた。
号砲からの時間だが、30キロ地点から先のスローペースがやはり響いた。

ゴール。
ゲートをくぐり、歩く。
芝生に座り、計測用のチップをシューズからはずす。
ボランティアのおばちゃんにチップを渡し、荷物置き場へ移動する。
私服に着替え、表彰式を見る。

これらすべての動作中が、俺を殺すチャンスだった。
たぶん何をされても抵抗できなかった。
ママレモンで目つぶしされ、両鼻にピスタチオを二個ずつ詰められ、テープで口をふさがれ、スターウォーズの帝国軍コスプレをしたおばちゃんに両手両足抑えられての窒息死、なんてこともあり得た。

出店テントは行列ができていた。
完走ラーメンは事前に気になってはいたが、特にうまいはずはないと冷静に判断し、食わずに会場を後にする。
つま先と膝関節が痛み、歩くのが辛かった。

浮間舟渡駅の「王将」で祝杯をあげる。
餃子、天津飯、酢豚を食べ、ビールを飲んだ。
トイレに行くため立ち上がった時、足が動かず転びそうになった。

5時帰宅。
靴下を脱ぐ。
左足親指の爪が壊死寸前になっており、小指は豆がきれいにつぶれていた。
シャワーを浴び、大相撲を見てから少し寝る。
8時に起き、缶のサワーをちびちび飲み直す。
靴と靴下を脱いだことで、つま先の痛みはなくなった。
腿の筋肉と関節が痛かった。
結構日に焼けていた。
顔が真っ赤だった。
ユニフォームと肌がこすれて、意地悪な継母にせっかんされた後のようなミミズ腫れが、体のあちこちにできていた。

足の三里に灸を据え、12時過ぎに寝た。
体が熱かった。

  1. 望月 より:

    完走おめでとうございます!
    なぜか、このところちょっとどきどきしながら読んでいました。僕なら、スタート地点での10分のロスタイムを考え、「俺は四時間をきった!」と大々的に自己主張しちゃうんですが・・・。

  2. tsukamg より:

    ありがとうございます。
    実走タイムは、3週間ほど後に送られている記録証に書いてあるかと思います。
    その時にちゃんとしたタイムを書きます。
    でも、やはり4時間は切れなかったんじゃないかと。
    4時間1分とか、そんな感じではなかろうかと。