演劇論の用途

昔、実家の近くにあった和菓子屋は、団子やまんじゅうの他におにぎりやいなり寿司も売っていた。
店の中は食堂になっており、あんみつやところてんの他に、ラーメンも食べることができた。
このラーメンは自分にとって、想い出の東京ラーメンだ。

去年の7月にゲキダン◎エンゲキブの芝居に出た時、商店街の和菓子屋でラーメンを食べた。
想い出の味だった。

今日、富士そばでラーメンを食べた。
スープ、麺、トッピング、どれをとっても想い出の東京ラーメンと寸分違わない。
ところが、全然うまくなかった。
なぜだろう?

和菓子屋で出すラーメンは、わざわざ鶏ガラを煮込んでスープを作ったりしていないはずだ。
業務用の醤油スープに、ラードを加えている程度だろう。
ラーメン専門店でその手抜きは許されないが、和菓子屋や海の家なら許される。
むしろ手抜きラーメンの方が、店のたたずまいと合っている。

和菓子屋のたたずまいは、おばあちゃんの家に似ている。
そこで出してくれるラーメンはつまり、おばあちゃんの作ったラーメンなのだ。

富士そばはおばあちゃんの家に似ていない。
「いや、そっくりだ」
という人はきっと、実家が富士そばなのだ。

『俳優の仕事』第二部読む。
第一部が理論であるとすれば、第二部は実践か。
理論を元に実践するのであるから、時代の影響を受けやすいのは実践の方であろう。
体の使い方などフィジカルな手法は、おそらくスタニスラフスキーの時代より現在の方が、種類も増え洗練されているだろう。

演劇論は実践的な指南書としてではなく、オリジナルの演劇論構築法を学ぶ意味で読むと実用的ではないかと思う。