マイケルに呼ばれて

5時に起きて台本書き。
ようやく終わりが見えた。

8時過ぎ、電車の中で何の気なしにipodで『スリラー』を聴いた。
その3時間後くらいに、携帯のニュース速報で、マイケル・ジャクソンの死を知った。
固まった。

1983年から1984年にかけた2年間が、マイケルの絶頂期だったと思う。
1983年は『スリラー』の年。
1984年はグラミー賞制覇とジャクソンズのヴィクトリーツアーの年。

自分が洋楽を聴くようになったのは1984年からだ。
その頃マイケルは待たれていた。
待望され渇望されていた。
皆、マイケルに飢えていた。

『BAD』が出たのは1987年の夏の終わりだった。
2年早かったら、もっと売れていたと思う。

90年代半ば以降のマイケルは、スキャンダルの提供者だった。
音楽よりゴシップで世間を賑わせていた。

そういえば『BAD』以降のアルバムは聴いたことがない。

あれだけの大スターになってしまったら普通でいられないのが普通だ。
だから結局のところマイケルは普通だったのだと思う。
才能ある普通の人間が成功の極みに達し、そのまばゆさに人生のある部分を焼き尽くされ、余熱で残りの人生を生きた。
そんな風に思えてしまうのは、自分も1984年にマイケルを渇望した一人だったからだろう。

夕方、西荻で稽古。
芹川のシーンを作る。
芹川、以前出たときより稽古の真剣さが違う。
何かの啓示を得ようとしているかのように見える。

なっつは、実は器用なのかもしれない。
思った以上に小回りがきく。

こず江さんは、日に日に女教師の自我を確立させている。
心理面のアプローチが、見えないところで進んでおり、こず江さんではない誰かがそこにいるという感じになりつつある。

見回すと、役者はいいのがそろったなあと思う。