淀川市民マラソン

4時半、ひとりでに目を覚ます。
丁度いいと思い、買っておいたおにぎりを2個食べ、二度寝する。

6時過ぎにベッドのアラームで起きる。
顔を洗い髭を剃り、ゼッケン装着済みのウェアを着て、その上にジャージを着る。
7時にホテルをチェックアウトする。

地下鉄の車両は、守口駅に向かう人でぎっしぎしだった。
荒川市民マラソンで、浮間舟渡駅に向かう人で埼京線がぎっしぎしになるのと同じだ。

7時40分頃に会場到着。
荷物預かり所近くまで行くが、ジャージを脱ぐのはまだ寒かったので、しばらく芝生の上に座って時間をつぶす。
そのうちにステージでエアロビクスが始まった。
みんな結構マジメにやっていた。
途中から加わり、筋肉を伸ばす。

ストレッチが終わってから、ジャージを脱いで荷物を預ける。
その後トイレへ。
8時15分だったが、スタート時刻に間に合うかどうか心配なほど、長い列だった。

前に並んでいたおっちゃん二人が喋っていた。

「去年は暑かったわ。トイレ並んどるだけで汗流れたもん」
「ほんまですか」
「日中は日に焼けてねえ」
「そら辛かったでしょう」
「でも8000人くらいやったしね。トイレもそんなに並んだ記憶ないわ」
「今年何人くらいです?」
「1万…4千人?」
「うわ」
「Qちゃん効果や」
「そうですねえ」
「来んでもええのに」
「ほんまですわ」

初対面らしかったが、リラックスして話していた。

8時55分にスタート地点へ。
トイレの行列待ちが長引いたので、列に並んだ途端、スタートの花火が上がった。

スタート地点のひな壇に、高橋尚子さんがいて、ランナーに声援を送っていた。
そのQちゃんにランナー達が、
「Qちゃーん」
と声援を送っていた。

荒川市民マラソンでは、スタートの号砲が鳴ってからスタートゲートをくぐるまでに、数分かかった。
人が多すぎて、列が進まないためだ。
だが今回の大会では、すぐに列が動き始めた。
スタート地点が自己申告制で、3時間台後半で走る人の列に並べたためかもしれない。

淀川沿いの土手を下る。
2キロだか3キロ地点で早くも給水ポイントがあった。
水の他に、オレンジ、バナナ、きゅうりが置いてあった。

淀川大堰を対岸へ渡り、しばらくすると、土手の下から若い女性が声をかけてきた。

「(人が沢山走っているけど)これ、何ですか?」

すると走っているランナー達が大きな声で答えた。

「鬼ごっこや!」
「そやそや!」

女性が叫び返す。

「嘘や!」
「ほんまやて!」
「逃げとんねん!」
「ごっつ怖い鬼やで!」

そんな感じで5キロ地点通過。

淀川の河原は運動場が沢山ある。
運動場だらけと言っても良い。
野球やサッカーやその他色々なスポーツをする人がいる。
どのグラウンドにもいる。

コースは舗装されている道だけではなく、時には芝生の上や砂利道も走らねばならなかった。
道沿いに自転車を押しながら歩く人もいた。
マラソン大会とは関係なく、沿道に住む人々は何の気なしにその辺を歩いている。
広くはない道をお互い様と譲り合っている。
そしてグラウンドにはスポーツをする人がいる。
体を動かすという広い意味において、みんなが一緒に<淀川河川敷>にくくられている。

10キロ過ぎの地点に下流の折り返し点があった。
時計を見てペースの確認をする。
10キロ丁度の地点で52分ほどだったので、過去のケースを思えば、まあまあと言って良かった。

15キロ地点を過ぎ、再び淀川大堰を渡ってから、トイレに行きたくなった。
我慢して走るのは精神上良くないので、河川敷のトイレに入る。
およそ1分弱ロスしたが、まあ仕方なし。

スタート地点が近づいていた。
フルマラソンは、ハーフマラソンと同時のスタートだった。
ハーフは上流へ10キロ半走り、フルは下流へ10キロ半走る。
つまりスタート地点は、フルマラソンにとっての折り返し地点でもあるのだ。

スタート地点では、ハーフマラソンのランナー達が続々とゴールゲートをくぐっていた。

(いいなあ)

とは思わなかった。
本当の地獄はまだまだ先にあるのだ。

スタート地点を通り過ぎて、今度は淀川を上流に向かう。

ランナーにハイタッチしながら、コースを逆走してくる女性がいた。
Qちゃんだった。

「頑張って! マラソンはこれから!」

笑っておらず、目がマジだった。
その通りですとしか、言いようがないほど、言葉に重みがあった。

スタート地点の折り返しを過ぎてからは、自分よりやや年長と思われる女性ランナーがいい感じのペースで走っていたので、その人に合わせて走った。
1キロを5分15秒から30秒くらいの、自分にとっては楽でもなくきつくもない絶妙なペースだった。

30キロ地点に到達する前に、給水ポイントでその女性を抜いてしまった。
追いつかれるかと思ったが、その気配はなかった。

それぞれの給水ポイントでは、水の他にエネルギー源を意識的に補給するようにした。
飲み物は水だけで、エネルギー源は小さいあんパン、バナナ、オレンジ、きゅうり、飴だけだった。
飴は何個かいっぺんに取れるので便利だったが、包装を剥くのが面倒くさかった。

30キロ地点を過ぎて間もなく上流の折り返し点に到達した。
4分の3経過。
足が動かなくなるという感じではなく、ペースは維持できている。
4時間切りのノルマが達成できるという確信が持てた。

その辺りに、ラジカセで音楽を流しながらランナーに声援を送る兄ちゃんがいた。

「そうやそうや。そうやねん。あと少しで折り返し点や。大丈夫や。きっと走れる」

叫ぶ感じではなく、うなずきながらという感じだった。
だがラジカセから流れる音楽が、ZARDの「負けないで」という始末で、これはもう本当に、負けちゃいそうになるから勘弁して欲しかった。

30キロを経過したあたりでは、抜きつ抜かれつというアグレッシブな展開はない。
へたりきって沿道に座り込むランナーが見られるくらいだ。
ライオネス飛鳥に似た女性ランナーに抜かれたのは30キロを過ぎてからだった。
それほど速くはなく、かといってついて行くのが楽というわけでもない、絶妙なペースだった。
さっきのおばちゃんと同じだ。
彼女のペースに合わせて40キロ地点までの地獄を走ることにした。

1キロずつやり過ごしていく。
腕の振りを意識したり。
体幹を意識したり。
フォームを確認したり。
ペースが崩れないように時計を確認したり。

残り5キロのボードを見たあたりで地獄が来た。

(辛い…)

しかし5キロ。
たかが5キロ。
その5キロが、永遠に終わりそうにない5キロになるのだ。

ウェアがこすれて痛い。
小指に豆ができて痛い。
足の裏がすれて痛い。
腿の筋肉が重い。
ふくらはぎがどこかに消えてしまった感じがする。
空気が吸い込めていないような気がする。
いつの間にかより目気味になって物が二つに見えている。

ライオネス飛鳥に似ている女性は先に行ってしまった。
陸連に登録した人だろうか?
少なくとも素人ランナーじゃないのだろう。

40キロ地点を過ぎると、筋肉の痛みよりもウェアの痛みが辛かった。
皮膚が裂けそうになり、そこを汗が刺激する。
両方の手首を意地悪な継母に縛られ、薔薇の刺でおしおきをされているシーンが思い浮かんだ。

「なんていけない子!」
「やめて母様! もうしません!」

妄想をしている場合ではなかった。
ゴールが近い。
テントが見える。
笑顔のQちゃんが沿道に立ち、ランナーにハイタッチしている。
今度は逃さず、ハイタッチした。
ありがたし。
ちゃん付け、恐れ多し。

ゴール地点ではどれがゲートなのかよくわからず、走るのをやめていいのかどうかわからなかった。
腕時計を見る。
3時間46分だった。

ネットタイムとグロスタイムにほぼ差がなかったので、おそらくこれが今回のタイムだろう。
4時間切りは無事達成。
良かった。

参加賞のヴァームを飲み、Tシャツを受け取り、男子更衣室へ。
巨大なテントとブルーシートという代物だったが、丁寧に汗を拭いたりできるのがありがたかった。

ウェアを脱ぐと、腹部と肩に擦過傷ができていた。
原因は塩だった。
通気性の良いウェアを着ているため、汗がすぐに蒸発し、塩の結晶となって皮膚に残る。
そのまま走ると、ウェアと皮膚の間に塩の結晶があるため、自分自身を<板ずり>してしまうのだ。

20分くらいかけて汗をふき、ゆっくり着替えた。

テントを出る。
1時過ぎだった。
筋肉は大丈夫だったが、足の裏と小指に水ぶくれができていて、歩きづらかった。

地下鉄守口駅へゆっくりと向かう。
腹が減っていた。
とりあえず飯だ。
それも、御褒美的なニュアンスのある飯だ。
切符を買い、来た地下鉄に乗って考える。

お好み焼き「双月」に行くことにした。
ついでに「中村屋」でコロッケを8個くらい買って帰れればベストじゃないか?

南森町で降り、中村屋へ。
シャッターが閉まっていた。
ネットで調べたところ、日曜と祝日は休みらしかった。
なんてことだ。昨日来れば良かった。
しかし昨日来たところで、お土産に持って帰る分は買えない。
これは仕方ない。

商店街をゆっくり歩き、双月へ。
豚玉を頼む。
自分で焼くスタイルなのだが、つなぎの配合が絶妙なためか、なんとなく焼いてもふっくらおいしくできてしまう。

辛口ソースとマヨネーズで半分食べ、出汁入りしょうゆとにんにくオイルで残りを食べる。

焼きそばも追加。

こういう太麺の焼きそば、どこかに売ってないかなあと思う。
夏に西荻のロック食堂で食べた横手焼きそばも、こういう太麺だった。
量は少ないが実に旨い。

満足して店を出る。
思い残すことなし。

地下鉄に乗り、新大阪へ。
新大阪発の「のぞみ」に乗る。
随分空いていたので遠慮なく靴を脱いだ。
足の甲がパンパンに膨れているのがわかった。

東京に向かう車中で『ねじまき鳥クロニクル』3巻読み進む。
眠るつもりだったが、不思議と目がさえていた。
7時過ぎに東京着。
8時過ぎに西荻へ。
ラーメン大で野菜増しを食べ、9時前に帰宅。

風呂に入る。
湯船に浸かると、案の定、継母に薔薇の刺でおしおきされた箇所が痛かった。

「まさか、ママンが浴槽に塩を…」

などという一人芝居を演じるだけの体力は残っていなかったので、顔をしかめてうなるだけにする。

風呂から上がり、ハートランドビールを飲む。
これが自分の一番の御褒美ビールだなあと、飲む度に思う。
うまい。