朝、熱は37度半まで下がっていたが、のどの痛みと鼻水、咳が止まらなかった。
胃の膨満感は治まり、空腹を感じるようになっていたので、普通の風邪の症状だけが残ったようだ。
体を休めることで、かえって悪いところが明らかになったのだろう。
この際有給を使ってしまおうと思い、休む旨を仕事先に伝えた。
昼すぎまでじっとする。
熱は36度台に下がり、ずいぶん体が軽くなった。
さすがに今日は走れないだろうけど、徹底的に休んだことで、体力がすべて回復に使われたようだ。
昨日から色々考え込んでいたせいか、とても沢山の夢を見た。
変な夢ばかりだった。
いかりや長介が出てきて、芸者にセクハラするのを止める夢。
長さんを羽交い締めにして、
「あなたはベーシストとして恥ずかしくないんですか」
と言った気がする。
なんでそんなこと言ったんだろう。
未来に不安を覚えて横になっていると、同じく不安を感じていた過去のことを思い出す。
そこから連想して、昨日はマグの旗揚げまで思い出してしまった。
ついでに続きを思い出して書いてみる。
旗揚げ公演が終わった時点で、次の劇場が決まっていた。
また同じ苦しみを味わうのかと憂鬱になった。
第1回公演は役者をやりたくて書いた芝居だったが、結果的には演出の仕事が大変でそれどころではなかった。
第2回公演は脇役に徹して即興を重んじる台本作りをした。
現場の雰囲気は悪くなかったが、運営の問題点はまだまだ沢山あった。
その公演が終わると、制作をやっていた友達が降りた。
第3回公演の劇場はすでに押さえていた。
続けるしかなかった。
制作探しと役者集めに難航し、夏の間中ずっとため息ばかりついていた。
「無理してやることないんじゃないか?」
と言われたこともある。
ところがいざ稽古が始まると、出演者の組み合わせがとても良く、笑いの絶えない稽古場になっていた。
本当に楽しかった。
勢いだけで突っ走った拙い芝居だったけど、とにかくみんな元気だった。
マグネシウムリボンでも、楽しい公演をやれるんだと、初めて思えた。
1年後の第4回公演は一転して、辛くてきついものだった。
演目は来年再演する『暮れなずめ街』だ。
きつさの要因は色々ある。
学生劇団からスタートしたのに出演者が学生だけじゃなくなったため、平日の昼間に稽古ができなくなったこと。
仕事を退職することになったこと。
制作仕事を役者に分担し負担をかけてしまったこと。
大変だったけど、この公演を見た王子小劇場の方が、翌年10月に王子でやりませんかと言ってくれた。
それが第5回公演だった。
これは、きつさと楽しさが半々だった。
以降のことはこのブログに延々と書いている。
辛い公演と楽しい公演の比率は、4対1か、良くて3対1だったと思う。
マグをやめようと思ったのは、この時期に一度だけある。
2006年に『ドッペルゲンガーの森』を上演した後だ。
人間関係の崩壊と借金で、次回公演の予定をまったく立てられない状態だった。
その時点で、2007年中に公演を打つのは不可能ということがはっきりしていた。
全額は無理でも借金を返済し、仕事をしなければならなかった。
マグネシウムリボンはどうなるんだろうと思っていた。
けれど、働くしかない。
幸い、仕事をするかたわら、役者として客演することはできた。
声をかけてもらえたところすべてに出て、知り合いを増やすことができた。
運が良かったと思う。
この時に築いた人間関係が、今のマグネシウムリボンの基になっている。
マグをずっと続けて来られたのは、一人で旗揚げをしたからじゃないかと思う。
自分が作・演出をする限り、それはマグネシウムリボンだといえる。
芝居をやめれば、マグも終わる。
じゃあ、芝居をやめようと思った時が過去にあったのか?
バイト三昧の日々を送っていた二十代の半ばに、ぼんやりと考えたことはあった。
眠れない夜に、
(芝居する気が全然起きないな)
(じゃあ俺はいったい何者なんだ?)
(教員免許までとって、親ともめて芝居続けて、それで今さらやめるのか?)
(じゃあ、どうやって続けるんだ?)
そんなことをぐるぐる考えたりしていた。
でも、芝居をやめることでどういう人生が送れるのか、想像できなかった。
進むべき道がどこにもないような気がした。
結局、その一年後に旗揚げをし、あとは問答無用という形で、マグネシウムリボンと背中合わせの人生を送っている。
最近になって思うのは、もしもマグをやっていなかったら、たぶん自分は今でもフリーターをしながら、こぢんまりと役者をしていただろうということだ。
仕事に関しても、マグで経験した無数の挫折が、役立っていると感じる。
社会人経験とは違うけど、零細企業経営者の労苦に似ているかもしれない。
今は、昼間普通に仕事をして、夕方から夜に稽古をして、本番の週には有給を使う形で芝居を続けている。
仕事は仕事で、芝居とまるで関係のない分野だけど、もう一歩上に行きたいという野望がある。
たぶん、そういう欲を持つことが、芝居作りにプラスの影響を与えるのだとも思う。
夕方、体温を測る。
36度4分だった。
体も軽い。
二日間横になって休んでいたせいか、頭は少しぼーっとしていた。
昨日から色々なことを考えすぎた。
でも、誰かに会って、こういう個人的なことをべらべら喋るより、迷惑度は低いだろう。
少なくとも、僕は楽しい日常を送ってます、みたいなことを書くよりはましだ。
毎日楽しいわけはない。
苦しいのとそうでもないのが続き、たまに楽しい日がやってくる。
そういう日は、祝福されていると思って感謝すればいいけど、毎日続くはずはない。
少なくとも生きてはいるし、体調も良くなっている。
いいことだ。
来年2月の公演に向けて、出演者が決まってきている。
いいことだ。
今日の文章が長すぎるのは、人にはき出す量を減らすためだ。
はき出される方にとってみたら、たまったもんじゃなかろう。
ブログなら、読みたい人だけ読めばいいだけの話。
最後まで読んで、長いと思った人がいたらすみません。
夜、次回公演に誘っている雷時雨さんと、中野坂上で会って話す。
初めてメールを送った時、
雷さま
マグネシウムリボンの塚本と申します。
実は…
と文頭に書いて、さすがにこれはないと思い、本名に変えた。
「平田屋」で話す。
12月の本番に向けて稽古中らしい。
去年芹川が出た芝居で拝見したきりだったので、これまでどういう芝居をしてきたのか、色々話を聞く。
初めて住んだ下北沢のアパートが取り壊され、新しい建物になっていた時の話など。
過去のマグ公演のDVDを渡し、参考にしてもらう。
12時に店を出る。
病み上がりではあったけど、体の芯が暖かかったから、もう体調は大丈夫だろう。
12時半過ぎに帰宅。