「The Next Day」の衝撃

朝、駅に向かう途中で、掃除屋のガレージにゴミが積み上げられていた。
その掃除屋は2010年にマグで『掃除屋』を上演するきっかけになった店だが、積み上げられたゴミの感じが、マグの『掃除屋』の舞台美術にそっくりだったので、奇妙な感じがした。

町田康・いしいしんじ「人生を歩け!」読了。
町を歩きながらの対談集。
町田さんが昔住んでいた成増に始まり、上石神井や武蔵関や浅草を経て、いしいさんの住む三崎へ移動する。
三崎のバー「ニトリ」にて、マスターの佐々木さんが話す内容が、一番面白かった。

昨日に続いて風が強かった。

定時に仕事を終え、6時半帰宅。
デビッド・ボウイ「The Next Day」届いていた。

ライナーノーツを読もうとするが、最後まで聴いてから読んだ方がいいと書いてあった。
その通りにした。
およそ70分後、興奮しながらライナーノーツを読んだ。

去年だか一昨年だったか、ボウイは音楽を引退したというニュースが流れた。
その頃すでにレコーディングをしていたらしい。
我々を欺くためのニュースだったのかもしれない。
そのことが、うれし悔しい。

曲に多様性がありながら、一つのコンセプトに結びついており、ばらけた感じがしない。
この曲はジギースターダスト、この曲はロウ、この曲はレッツダンス以降みたいに、過去作品と似通っていると思わせつつ、ノスタルジーに浸ることのない新しさがある。
曲ではなく、曲想のベストアルバムといえるかもしれない。
老醜という言葉があるが、ボウイの場合、老美という言葉がふさわしい。
アンチ・アンチエイジング。

こういうアルバムがリリースされ、それをリアルタイムで手にして聴くことができたのは、実に喜ばしい。
今から30年くらい経って、
「ボウイの「The Next Day」が出た時は、すぐに買ったよ」
などと、全身タトゥーで、眼球にまでピアス入れてるような孫に語って自慢できる。

レコーディングが秘密にされていたのは、宣伝のためではないと思う。
そんなことを今さらする必要があるとは思えない。
メディア戦略に「美意識」を持ち込み、それを貫いたと思いたい。

過去作品を無性に聞きたくなった。