衝動の奴隷になって

7時、ジョギング。
五日市街道を、神明通りの交差点まで往復。

近所の公園近くの道ばたに雑草が沢山生えたスペースがあり、そこにひまわりを植えていた。
本葉が開き、順調に育っていたのだが、昨日近所の方々が雑草むしりを行ったため、ひまわりもすべて抜かれてしまっていた。

仕事終わりにLINEで稽古の予定を連絡。
キャストの組み合わせ的に自主練に苦労する。

印刷をし、7時に稽古場着。

「粗忽」の台本が上がった。
これは、どういうところが遊べるのだろうと考えながら稽古する。
どんな食べ物でも美味しく食べられる人のように、どんな台本でも楽しく演じられるには、何が必要なのかと考えてみる。
芝居を始めたばかりの頃は、セリフであれば何であっても、読むのが楽しかった。
二年目くらいから、ああしてやろうこうしてやろうという意図が生じ、三年目くらいから煮詰まった。

原点を思い返してみれば、人前で誰かになって何かを言うということは、生理的に気持ち良いはずなのだ。
そこに叫びがあれば、なお良い。
理由はいらない。
肉体がそれを求めているからそうする。

最近、叫ぶ芝居が少なくなった。
昔の芝居はみんな叫んでいた。
発声練習は、叫んでも声を潰さないのどを作るためみたいな感じでやっていた。

今回やる三つとも叫ぶ芝居じゃないが、「虻一万匹」の初演時は叫んでいた。
叫びたかったのに、叫べない芝居を書いて、それに出て、叫ぼうとしていたのだった。

だが、今なら叫べるんじゃないかと思い始めている。
技術としてではなく、原点から時間的に遠く離れたがゆえに、原点の全貌が見渡せるようになり、雑念を持たず叫ぶ価値もわかるようになった。
意図などなく、衝動がオレに叫ばせてしまえばそれでいいのだ。
衝動の奴隷になるつもりで。

10時半帰宅。