大島渚の檄

7時半、8時半、9時半と時刻表のように起きては寝て、10時半に本当に起きた。
12時前に吉祥寺へ。成蹊大まで歩く。
荻窪にいたころは自転車で行けた。

二年前にはかろうじて存在していたラーメン屋「生郎」がなくなっていた。
代わりに「成蹊前ラーメン」という店が入っていた。

3時過ぎ、東小金井に向かう。
久しぶりにいい天気で、吉祥寺駅前のサーティワンは行列ができていた。

東小金井で降りると人は少なかった。
「宝華」に入り、ネギ丼宝そばセットを頼む。
950円。
もう少し安かったような気がするが、値上げしたのだろうか。

マスターがいなかったので、厨房差配を楽しむことはできなかった。
宝そばも、量が減ったような気がした。

図書館に寄って予約した本を借りる。
五日市街道沿いの「鳥一」で、焼き鳥、レバー、鶏にんにくを二本ずつ買う。

5時半帰宅。
焼き鳥は大変旨かった。

大島渚のムック本読む。
死後すぐに出たものなので、作品論より追悼のためのインタビューが多い。

崔洋一が初めて助監督についた時、
「君は新宿で一番ケンカが強いんだって?」
と、ニコニコ顔でいわれたそうだ。

また、映画が完成した後、もう監督と助監の関係は終わりだ、監督になれ、対等の立場になろう、というようなことをいわれたそうだ。

そして大島家の宴会に行くと、夫人の小山明子と、
「おーい、ママ、ママ」
「どうしたの、パパ?」
という会話を普通にしていて、ひっくり返りそうになったそうだ。

大島渚は、旧制中学の熱血教師という印象がある。
黒板をバーンと叩き、
「君たちはなぜ怒らないのだ!」
と怒鳴る姿が容易に想像できる。

ひょっとして、大島さんは、教育者の資質があったのではないか?
日本映画学校で、講義をしたことはないのだろうか。

でも、教えることはたぶん、とにかくなんとしても映画を撮れ、ということだけだったかもしれない。
「絞死刑」を見ると、予算もないけどとにかく俺たちは映画を撮るんだ、という意気込みが画面に充溢している。
まるで、見ている映画青年たちに、
「君たちはなぜ撮らないんだ!」
と、檄を飛ばしているかのようだ。