朝、起きたが、眠気がひどかったのでそのまま寝た。
昼前に起きた。
阿佐ヶ谷へ。
「大江戸寿司」で昼飯。
まぐろ、えんがわ、鯵、しめ鯖、えび、ビントロ、はまち、サラダ食べる。
ここのサラダは、海鮮サラダとして考えると、大変安い。
ジョナサンへ。
『ローマ人の物語』43巻読了。
最終巻。
3月に読み始め、およそ三ヶ月かかった。
全体を振り返ると、初めの方は、戦争において、陣形や戦術の記述が多かった。
残された史料にそれらがきちんと書いてあり、研究書も多いから書けたのだろう。
帝政に入ってから五賢帝までは大いくさがほとんどない。
それ以降は蛮族相手の戦いや内戦が中心だ。
後半での戦争の記述は、勝った負けたばかりになる。
クライマックスは、カエサルがルビコン川を越えるところだった。
カエサルが残した文章がドラマチックだったからだろう。
「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、我が破滅。進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
ゾクゾクする。
名台詞としかいいようがない。
文庫版43巻中、カエサルに割かれた巻数は6巻だ。
他の皇帝は多くて2巻だから、割合としては断じて多い。
先人達がローマを築き、カエサルという天才が現れ、帝政システムを作り上げるまでが前半。
カエサルのシステムを守り通していくが、それが段々とほころびていき、滅亡するまでが後半だ。
帝政も二つに分かれる。
前半は元首政、後半は専制君主制。
我々が「皇帝」という言葉から連想させられるのは後者だが、元首政時代のローマ人は、皇帝のことを決してそのようには思っておらず、おそらく現在の大統領のようなものとして捉えていただろうという指摘には、納得させられた。
ローマが滅んだのは、最終巻の一つ前、42巻だった。
傭兵隊長オドアケルに滅ぼされたことになっているが、戦いがあったのではない。
皇帝の跡を継ぐ者が出てこなかっただけだ。
ローマは、いつの間にか滅んでいたのだ。
オドアケル自身はゲルマン人だったため、皇帝を名乗らず、王と称する。
そこから先しばらく、イタリア半島は平和な時代が続く。
ローマが実質的に滅んだのは、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝によってであった。
イタリア半島は長い戦で蹂躙され、そこへランゴバルド族が侵入する。
さらに、イスラムの台頭で地中海南岸はサラセン人海賊の巣窟となり、シチリアやイタリア半島はその後1000年間も海賊の襲撃にさらされ続ける。
このあたりは同じ著者・塩野七生の『ローマなき後の地中海世界』に詳しい。
これだけ長い本を読むのは久しぶりだ。
一冊ごとのページ数はそれほどでもなかったが、一昨年読んだ北方謙三版『三国志』や、去年読んだ『富士に立つ影』より長かった。
本番前に読み終えることができて嬉しい。
長い本を読み終えた余韻にしばらく浸ってから、台本書きをする。
ラスト寸前まできた。
二つの人生があり、どちらが本当なのかという展開。
「六月の魔女」と同じだ。
魔女の時は、どちらも本当という結論にしたのだが、今回はさらに別の人生が出てきて、それを本当ということにする。
人生ABCのうち、Cを生きる女が、自分はAあるいはBだったかもしれないと、夢想するという内容だ。
マグネシウムリボンは今年で旗揚げ20年になる。
もし旗揚げしてなかったら、オレはどんな人生を送ってきただろうか?
20周年記念に何かやろうという気持ちにはなれなかった。
お客さんになる時のオレは、見る芝居の劇団が何周年であるかどうかということは、まるで気にしないタチである。
そんなオレが、
「マグネシウムリボンは今年で20周年です!」
などと、どうして言えよう?
言わなかったとして、それが失礼になってしまうのなら考えるが、いつものままであり続けることこそ、礼に適うことと、主宰判断した。
むしろ、
(20年かあ…)
という思いをネタにして、芝居を作った方がいい。
それも、ノスタルジーとは関係なく、素材として「20年かあ…」という思いを使う。
で、今回は、人生ABCという形になった。
次回本公演は、別の形をとる。
10周年の時にはどうしていたか?
この公演でマグはいったん破綻し、しばらくの間、次の公演をうてないという状況になった。
仕事を、真剣にやるようになったのはその後のことだ。
オレがやっているのは、芝居とは関係のない技術職だ。
マグ破綻以前にも、給料のいい仕事に就けるかと思って、プログラミングの勉強をしたことはあった。
でも身につかなかった。
だがこの時は必死だった。
金欲しさにどんな仕事でも受け、日々参考書やネットの情報と格闘し、遮二無二スキルを身につけてきた。
おかげで現在、変な言い方だが「手に職」みたいな状態になっている。
マグをやっていなかったらどうなっていたか?
たぶんオレは、エンジニア(もどき?)にはなっていなかっただろう。
なれなかったと思う。
今回新しい仕事に苦しみつつ芝居を作るハメになっているのは、「20年か…」という思いを芝居にする目的に適っているのかもしれない。
9時過ぎ帰宅。
家で書くより、ファミレスの方が進むのはなぜだろう。