実家に帰り、パソコンで年賀状ソフトを操作しながらふとクリスマスカードのことを思い出した。
英語教室に通っている時、クリスマスになると生徒達でクリスマスカードの交換をした。
「カード」という言葉の響きが好きだった。
カードを手作りすると、お祝い事をしていることを実感できた。
あれはなかなかいいものだ。
小学館のホームイングリッシュスクールは今もあるのだろうか。
五歳の九月から十四歳の七月まで、九年弱も通っていた。
英語が達者な人が小学館から教材を買い、それを使って近所の子供達に英語を教えるというシステムだったと思う。
五歳だったから、やりたい意志などない。
親に言われるままだ。
小学校にあがると遊ぶ時間を削られることが苦痛になってきた。
しかし「やめたい」と口にすると必ず叱られた。
中学にあがると小学校向けの教材は意味をなさなくなったので、学校の教科書を持参して授業の予習をした。
中学二年の夏、週一回わずか一時間の英語教室のために部活や試験勉強の時間が削られるのはおかしいと親に訴え、やめることにした。
九年の月日は英語に関してはまったく無駄だった。
親としては早期英才教育のつもりだったのかもしれないが、途中から丸投げになってしまった感は否めない。
それでも楽しいことはあった。
全国のホームイングリッシュスクール会員向けの春休み旅行に行った時は楽しかった。
引率に日本語がものすごく上手なアメリカ人の先生がいた。
騒ぐ子供達に、
「てめえらよぉ、歩道歩く時に後ろ向いて喋んじゃねえよ。車きたら知らねえぞ」
と見事な巻き舌で怒鳴っていた。
英語教室で感じたのは<通うストレス>だった。
塾や予備校に行かなかったのはそれが嫌だったからだろう。