ドラクエ7の記憶があまりない

午後、リモート関連の連絡作業。金曜に出向するため時間を設定する。

『怒りの葡萄』下巻読む。
ばあさまの埋葬を済ませたジョード家は目についた野営地にトラックを止める。そこにいたのは疲れ果てた難民ばかりだった。ロザシャーンの旦那コニーはここで逃げ出す。
南には官営の野営地があると聞き、一家は移動する。そこは設備が整い、利用者による委員によって平和に運営されていた。連邦政府の管轄下にあるため州警察は手が出せなかった。ジョード家の人々は、初めて心からの安らぎを覚えた。

この官営施設はまるで理想郷のようだ。直接的ではないが、運営のあり方は社会主義的に描かれている。バーナード・ショーがソ連を訪れ、その国のあり方を礼賛していたことを想起させられた。

一日の空き時間を、読書優先に振り分けると、色々なことができなくなる。ジョギング、習い事、勉強、映画鑑賞、趣味など。
なのに、ネット閲覧時間はどんな日でもそれなりにある。履歴を振り返ると、その日の連想がなんとなくわかる。めちゃくちゃにキューで突いたあとの玉の軌跡を追うような心地だ。

たとえば今日の場合、キーワードを並べるとこうなる。

  • ドラクエ7
  • Every Little Thing
  • 村田兆治
  • 間柴富裕
  • UTF-8
  • 文字化け

たぶん、Googleニュースなどを見て、記事から連想した語句を調べ、閲覧結果からさらに連想しての繰り返しなのだろう。しかし、Googleニュースの記事はおれ向けにカスタマイズされているから、連想スタート地点にある語句の要素は、おれの中からやって来たものに近い。そこから連想して検索をすることは、おれの要素を使っておれの要素を増やしているようなものだ。自分の中が、YMO『増殖』のジャケットみたいになっているのを感じる。

ドラクエ7は、2000年の発売時に買ってプレイした。2週間ほどでクリアしたが、内容はほとんど覚えていない。
でも、石版のパズルと、王子様が途中でいなくなってしまうストーリーは覚えている。
このゲームは、本来ならば1999年のクリスマスシーズンに発売される予定だった。そのために、そのためだけに、99年の秋にPlayStationを買った。で、ワクワクしながら発売を待っていた。ところが発売が延期となったので、他のゲームをやった。やりこんだ。
翌年、夏が終わる頃にドラクエ7が発売された。しかし自分の中に、前年にあったワクワク感は残っていなかった。それでも、プレステ買ったのはこのためだしなあという思いがあったので、芝居が終わってからゲームを買い、プレイしたのだった。
ドラクエ7をクリアして以降、ゲームをやる回数は激減した。そして、その年の暮れを最後にパチンコもしなくなった。ゲームとパチンコをやりたいと思う気持ちは、同じ根っこから発していたようだ。