Perfume横アリ参戦

朝、トーストと野菜スープと目玉焼きの朝食を食べた。全部ミキサーに入れてぐちゃくちゃにして。

部屋が寒かった。ヒーターをつけても暖かくならなかった。パソコンの足元に足の裏を温める暖房機を置いていて、それに足を乗せると寒さはマシになった。この商品、13年早く欲しかった。

雨は昼前にやみ、気温も10度くらいになった。

ホットカーペットとこたつを設置することにした。
床を雑巾で拭き、丸テーブルの上に散らかっていた物をどけ、テーブルをたたみ、ホットカーペットを敷いた。去年まではテレビ台とソファがあったので、敷く場所は限定されたが、捨ててからゆとりができたため、どうやって敷こうか少し迷った。

テレビにやや近い場所に敷き、その上にこたつを設置した。32インチのテレビを改めて見ると、とても小さく感じられた。46インチくらいのに買い換えた方がバランスはいいのだが、テレビ番組を「たいむとんねる」しか見ていない。映画を見るために買うという選択もあるが、持っている映画はDVDばかりでブルーレイはないから、画面を大きくしたらかえってアラが目立つんじゃないか。4K、8Kは結構だが、その画質で「七人の侍」とかをソフト化してくれるんなら、買う価値もあるが。あと、スーパーボウルを大画面で見たいとか。

昼食を作った。鶏もも肉とキャベツを炒め、オイスターソースとマヨネーズで味付けした。野菜スープの残りと、賞味期限が近くなった缶入りデニッシュを食べた。

夕方、6時半過ぎに横浜アリーナへ。7時からPerfumeのライブを見た。
「見た」「観た」「聞いた」「聴いた」
いずれの表現も適切ではないような気がする。
「参加した」が、感覚としては一番近いので、半分ネットスラングになっている「参戦」は、正鵠を射た表現だと思う。

横浜アリーナに来たのは9年ぶりだった。9年前に来たのもPerfumeのライブのためだった。
今回は、Perfumeのライブ参戦は2年半ぶりで、ライブそのものは2年4ヶ月ぶりだった。去年は一度もコンサートに行かなかったのだ。

平日7時開演にも関わらず、ぎしぎしの満員だった。コスプレイヤーのファンは、平日、あるいは寒さのためか、それほどいなかった。客層は老若男女がまんべんなくといった様子で、70代の人もいた。
セットリストに大きな変化があった。これまでとは違い、途中にはさむMCの回数が減り、連続でパフォーマンスする曲数が増えた。MCに入ると、三人の激しい呼吸音がマイクを通して会場に響いた。
曲目は、今年出たアルバム「Future Pop」が中心だった。昔からのファンにとっては、イントロがかかった瞬間会場が爆発するはずの定番曲がかかっても、反応は大人しかった。逆に、ここ二、三年にリリースされた曲のイントロで大きな歓声が起きた。ファンの新陳代謝が進んでいる。
左隣にいた青年が典型的なお地蔵様だった。前の席にいた五十代の夫婦も、前半は巣鴨な感じだった。しかし、P.T.Aコーナーで、あ〜ちゃんが、恥ずかしがったところで誰も気にしていないから踊ろう、というようなことを言った。その後は、地蔵青年も体を揺らすようになり、巣鴨夫妻も元気に踊っていた。あ〜ちゃんの価値は、観客にビシッと言い放ちつつ、嫌な感じを起こさせない、言葉の強弱のバランス感覚にある。この妙味は、ライブに参戦しないと絶対にわからず、行けば誰しもあ〜ちゃんに一目置く。
「Future Pop」収録曲の「天空」が素晴らしかった。どのタイミングでそれをやるか、練られた結果かもしれない。浮遊感と多幸感があり、うっとりとした心地になった。

9時半に終演。通路から出口まで、満員電車並みに混んでいた。

帰りの副都心線の中で、ライブの記憶を反芻した。席はアリーナ席の後ろの方で、三人の姿は豆粒ほどにしか見えなかったし、モニター画面も遠くにあった。
にもかかわらず、臨場感があり、全体の一部になっていることの安心感と、高揚と、陶酔があった。なぜだったのか? 自分がファンであるからという理由だけではないだろう。ファンとしての熱量は、一番熱心に聞いていた2009年頃に比べると、最近はずいぶん落ちている。
むしろ、ファン熱が冷めて来た頃にライブがあり、参戦することによって再び加熱されているように思える。Perfumeはライブが一番というのは、つまりそういうことだ。テレビを見ただけでは、ファンになれない。

『草薙の剣』読み進む。
登場人物たちは類型的に描かれているようだが、人物設定の細部が絶妙で、読む人にとって、覚えのある現実の誰かみたいに思える。彼らの人生と並行して、時代の出来事が説明される。主人公は人ではなく、戦後、昭和、平成だ。