平安時代の地方格差

7時起き。
ご飯を炊く。フライパンで4分の3合炊いたが、置き時間ゼロで炊いたので、水加減を間違えて芯が残ってしまった。

実家に帰ると母にメールをすると、今日はマンションの自治会の集まりがあるので明日にせよと返事が来た。

昼、コンビニおにぎりと味噌汁。

『双調平家物語』11巻読む。
清盛が、もともと野心はなく、摂関家に忠実であらんとする男だというふうに描かれている。曹操や信長のような人物象を期待して読むと肩すかしを食うだろうが、平安時代の栄華はどのように成り立ってきたのかを5巻から延々と学んできたため、そのような清盛に違和感は覚えなかった。
平安時代、権力を手にするために貴族が望んだのは、娘を天皇の后に送り込んで男子を産ませ、自らは次代の天皇の外戚になること。そして、権力を持たない貴族たちの処世術は、猫の首に鈴をつける立場に自分が置かれないよう立ち回り、誰かがそれをしたら最大限の恩恵を享受できるように努力すること。それが常識として三百年まかり通ってきたと考えると、日本の社会に与えた影響は、のちの徳川時代よりも根強いのではないか。
清盛もその時代の子なので、日本初の武家政権を樹立しようといった野望は持ちうるはずがない。頼朝から北条氏までの鎌倉政権は都から離れていたがゆえにそれができた。
いや、鎌倉以前、奥州藤原氏の政権も、都から独立してあったといえば同じことだ。都で権力を得るということにこだわらなければ、政権に似たようなものを地方に樹立するのは、案外容易ではなかったか。
ただ、それを思いつくまでに、高いハードルがある。都と地方の文化的格差は相当大きかったろうし、だからこそ地方に流されることが罰としてあり得たのだ。

夕方、島忠ホームへ。ヘッドフォンの標準変換プラグを探したが置いていなかった。何も買わずに出る。
方南町のサミットで買い物。いつも行くサミットより混んでいた。

7時半帰宅。
夕食に、ご飯、味噌汁、鯖の塩焼き、白菜漬け食べる。一汁一菜食に慣れてくると、魚が一品増えただけで、贅沢をしているような気がする。