「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」見る

昨日は、朝の7時から7時間寝て、その後酔っ払い、夜の8時半に寝て、10時過ぎに一回トイレに起き、あとは延々寝て、今朝の7時50分に起きた。昨日の朝から今朝にかけて、18時間くらい寝ていたことになる。

それだけまとまった睡眠をとったのは久しぶりだったが、頭の方は半分以上の時間起きていたようで、いちいち覚えていられないくらい、たくさんの夢を見た。その間、多分、脳の棚卸し作業が行われていたのだろう。

今朝は食欲もなく、頭も重かった。寝すぎたためだろう。

8時半に家を出る。外は寒かったが、昨日までの三日間が暖かすぎたためそう感じるのだと思った。最高気温は17度くらいの予報だったから、三月では普通だろう。

桜の満開宣言が昨日出た。過去もっとも早かったのは2002年3月らしい。うん。覚えている。当時は花粉症がひどかった。今はなぜか治ってしまい、今年もマスクなし。

午前中、先週色々やったWordpressの現状を報告する。心の中では(オラにもっと力があれば、こんなやつ、あっという間にやっつけてやるんだが…)と思っていたが、現状、別件も抱えているし、そちらにかかりきりと言うわけにはいかないので、時間がかかりそうですと答える。

昼、『山田屋』でチャーハン。ん? この店でチャーハン単品を頼んだのは初めてか?

『ペスト』読む。
カステルの血清を打ったにも関わらず、感染した子供は苦しみ抜いてついに死ぬ。さすがのリウーも取り乱す。少年の死を看取る経験をした後、パヌルー神父の説教は、異端ぎりぎりのところまでいき、そして彼もついに発熱? まで。

午後、ツール仕事に戻る。以前作っていた検索機能で、余計な項目を外してシンプルにした。シンプルにしていく方向が、一番正しいのではないかと、業務を知るにつれ、思えてきている。

夕方、ちょっとだけPHPのコードを修正し、Wordpressの検索機能を確認したら、少し前進した。こんな感じで、細々と少しずつやっていけば、いずれベストな結果が出せるかもしれない。ひっそりやっていこう。

6時、自転車で新宿西口へ。駐輪場に止めてから東口のマックへ。
倍えびフィレオとコーヒーで夕食。倍メニューで「フィレオ系」はオススメではないという記事を読んだが、えびフィレオ好きの私にとって、えびが倍になることは喜びである。

7時過ぎ、TOHOシネマズへ。
「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」見る。

1969年に三島由紀夫が全共闘と公開討論をしたということは、知識として知っていたが、テキスト化されたものや、まして映像などは、一度も読んだり見たりしたことはなかった。
そして、今回映画化された作品を見た人が、反発しあうはずの右翼(三島)と左翼(全共闘)がいつの間にか理解しあっているような……というようなことを書いているのを読み、大変興味を持った。まさか、三島の詐術によるものではないだろう。しかし、気になった。

映像は、TBSに保存されていたものと、関係者へのインタビュー映像とで構成されたドキュメンタリーだった。はっきりいって、映画館でかけるよりは、テレビで放送すべきものだった。まあ、その辺は、コンプライアンスゲルゲが跋扈する猥褻国家ニッポンにおいては不可能なのかれもしれないが。

そして、保存されていた映像、というより、三島由紀夫の肉声と言論には、うならされるほどの魅力があった。インタビュー映像に出演している内田樹先生が言っていたが、三島由紀夫は討論のすべての時間において、ただ一人の学生に対しても見下した態度をとらず、丁寧に語っているのだ。

討論の途中、「劇団駒場」をやっていた伝説の演劇人芥正彦が、赤ん坊を肩車して登場する。芥氏の問いかけは、一つの言葉から観念の方向に進み、その中で細分化していき、聞いていると、今何をテーマにして話しているのかわからなくなってくるようなものだった。それを三島氏は、言葉の一つ一つを取りあげては、自分の言葉で定義しなおすということを丁寧にやっていた。

見ていて、その部分が一番難解だったが、インタビュー映像に出てくる七十代になった芥さんが、まだ論争の続きをやりたそうな鼻息の荒さだったのがおかしかった。

芥正彦に対し、学生から、あまりにも観念的に過ぎると意見が入る。芥氏は途中で「つまんねーから帰る」と言って退場。なんというか、実にプロレス的だったが、三島氏は怒らない。

天皇という言葉をもし全共闘が使っていたら、自分は全共闘に加わっていただろうということを三島氏は言う。ここが、全体のクライマックスだったと思う。これに、内田先生の解説が入ることで分かりやすくなる。つまり、全共闘は60年安保の延長線上にあり、60年安保とは「反米ナショナリズム」なのだから、両者は本質的に同じものだということ。しかし、同じ神を信仰するキリスト教とイスラム教が反発し合うように、両者が共闘することはなかった。

インタビューで、敵は何かを問われた芥氏が言った。

猥褻な国ニッポン。

それは、自分にとっての敵なのか、それとも蹶起した三島由紀夫にとっての敵なのか、判断に迷った。両方ともとれる作りだったのかもしれない。

10時過ぎ帰宅。