中曽根康弘『自省録』読了

福岡在住カナダ人ミカエラさんのYoutubeが日本語で更新されていた。Youtuberとしては草分けのような人で、2010年代初期からブックマークしている。初期は日本語と英語を交ぜた動画が多く、その頃から日本語は十分に上手かったが、今日の更新では、日本語だと発音にコンプレックスがあるのだと言っていた。
「え? そんなに上手いのに?」と思ったが、上手くなることで逆に、自分の外国人なまりが気になってくるということらしかった。
また今日の話し方には、日本人と同じようなためらいがあった。というより、ためらいの表現が日本人そのものになっていた。抑揚、間のとりかた、所作がそうだった。おそらく、同じ内容を英語で喋ったら、印象はまったく違っただろう。
日本人の特性は、日本語によって枠組みが決められているのではないかと思った。遠慮したり、気を回したりするのは、使っている言葉が日本語だからではないか? ミカエラさんを見ていると、そう思った。

『ルー・テーズ自伝』昨夜読了した。猪木がテーズを慕っている感じが、ゴッチさんとは違い、ただただ慕っているようで良かった。NWAの全盛時代は意外と短いのだなとも思った。せいぜい30年だ。

昼、『プーさんの店』で日替わり食べる。

午後、「てょ」さんにメールする。現状と、自分が今すぐできそうなことなど。すぐに返事がきた。担当が戻ったら話があるとのことだった。
夕方、担当さんと話す。ツールの件。ただ、担当さんの説明が不得要領でわかりにくく、ツールの場所さえはっきりしない始末だった。どれが最新バージョンなのかもわからないのは問題だ。フォルダ全体がジャンク屋みたいになっている。

6時半過ぎ、走りに行く。今日は40分ジョギング日。昨日届いたガーミンのForAthlete230Jをはめ、近所の400メートルトラックへゆっくり走った。
トラックまでちょうど1キロだった。それから、トラックをぐるぐると30分ほど走った。
そこから先、キロごとのラップタイムを、5:35、5:12、5:00、4:58:4:38と上げた。そこで37分が経過したので、トラックの走りを終え、家までゆっくり走った。

中曽根康弘『自省録』読了。
議員を辞めた後に書かれたもので、読者を、政治にあまり詳しくない一般の人に設定しているようで、説明が大変わかりやすかった。
政治のダイナミズムがたっぷりと感じられた。票を得るためにはスーツで田んぼに飛び込んで握手をしないといけないが、当選したら国の命運を自分が握っていると考える。このように俗の部分と聖の部分を併せ持つことを肯定している。要するに、政治はひとつではないと認識している。だから、政治哲学を持っても、それと心中することはない。
あと、ライバル政治家や政敵のことを批判はしているが、良き部分は認めており、後味が悪くないのはすごいと思った。
唸ったのは次の部分。

政治の究極の目的は文化に奉仕するにあり、自由を尊び、宗教や学問に対して越権があってはならない。

中曽根康弘『自省録-歴史法廷の被告として』(新潮社、2004年、P153)

先ごろ国公立大に、中曽根に弔意を示せと脅迫した人の考え方とは異なる。あれはたぶん、自分らは自民党の伝統的な系譜にいるんだぞと正統性を示しつつ、中曽根康弘を偶像化する意図があったんではないか。
我が母校、東京学芸大がそれを拒否したことが話題になった。うんうん、よしよしと思ったが、拒否などせず、黙殺で十分だったと思う。