青年の鬱屈

6時10分起き。肩と首筋と右足のつま先が痛かった。
朝食に麻婆豆腐食べる。

自転車で現場へ。道は空いており信号も青ばかりですいすい走れた。新記録達成と思いきや、ストップウォッチを押していなかった。8時27分に着いたから40分を切れたんじゃないか思う。

午前中、新ツールの仕上げにかかる。休みのはずだったアキャーマさん来る。既存ツールの管理に加えて新しい機能実装仕事を抱え、週四日なのにおれより月間時間は多いようだ。おれも週四にしようかなと思うが、午後四時過ぎに知力が劉禅になってしまう宿痾を抱えているから無理だな。

昼、カップうどんに掻き揚げをのせて食べる。

夏目漱石『三四郎』読む。先日『二百十日・野分』を読み、漱石は青年の鬱屈を日本で初めて書いた人ではないかと思ったので、そのお手本のような『三四郎』を再読してみたというわけ。最後に読んだのはたぶん二十代の頃で、内容はほとんど覚えていない。読み始めて、冒頭の展開に戸惑う。汽車で偶然会った人妻と途中の駅で一緒の宿に泊まり同じ布団に寝るだなんて。しかも翌朝そのヅマヒトに「度胸のない方」呼ばわりされるだなんて。漱石先生、青年の鬱屈のツボを心得ていなさるとしか思えん。二十代の頃に呼んでピンとこなかったのは、自分もまたその年代だったからだろう。リーゼントに革ジャンだったし。夜はバイクで爆走していたし。警察のことをマッポと呼んでたし。

午後、新ツール仕上げ作業続ける。少しでも手をつけるとあれもこれもと仕事が増える。来年持ち越しの作業を忘れないようノートにメモして終える。

自転車で日本橋まで走った。白山通りから神保町を抜け、内堀通りから大手町を走った。永代通りの駐輪場に自転車を止め、地下鉄で西葛西へ。6時半過ぎ実家帰宅。編集してきたコロッケのDVDを再生する。

夕食のあと、メルカリに出品していた本を発送しにコンビニへ。このためだけに実家に帰った。中学生の頃になぜか買った中国拳法の本で、1500円で売れた。ただし、出品してから二年近く経つので、ボロいなあとは思わなかった。

夜、やることはあるのに面倒くさくなった。かといってダラダラするのも落ち着かなかった。高校一年生の頃よくそういう状態になった。勉強しなきゃと思うのだが問題集にちょっと手をつけるとイヤになった。かといって他に熱中することもなかった。中学の時と違ったのは趣味がなかったことだろう。いや、あるにはあったが、心から打ち込むにはのめり込む熱情やお金が足りなかった。バイトもできなかった。高二の時に郵便物配達の仕事をしたくらいだ。あれも欲しいものがあったというよりは、休みの日を漫然と過ごすことに耐えられず、せめてバイトでもしておこうと思ったからだった。それなのに大晦日や元旦に出勤することが憂鬱だった。家にいたくないのに、家にいられないから憂鬱という矛盾があった。そういう混乱した高校生だったために、思い詰めの度合いも高く、それがテコになって受験勉強に専念することができたのだが、効率はものすごく悪かったと思う。『三四郎』を初めて読んだのもその頃だけど、お仕事みたいな感じに読んでいた。読み終えたという事実だけが重要だった。大学に入り演劇を始めてからは二十代が「ビュン!」という擬音一つで過ぎ去ったが、高校時代の鬱屈を解消したと勘違いしていたふしがあり、本来罹るべきだった青年の鬱屈は三十代になってからやってきた。自分の人生を振り返ると、人と比べて色々遅い。