悪夢を見たら毅然とすべし

明け方、夢を見た。
ある部屋にいる。部屋には26人いるはずなのに27人いたので、一人の男をルーペみたいなものを透かして見てみると、そいつの目は真っ黒い空洞になっている。こいつは人間じゃないと思い、「お前、本人じゃないだろう!」と一喝する。その自分の声で目が覚めた。かなりはっきりとした滑舌で言えた。そして、内容的にかなり怖い夢のはずなのに、ほとんど恐れていなかった。一喝できて良かった。こういう時、一喝できるかどうかは大事だ。

5時起き。6時まで書き作業。朝飯に、お粥、とろろ芋、納豆、味噌汁。

7時45分に家を出る。自転車で現場へ。今日はグローブなしでも寒くなかった。42分で現場へ。

午前中、新ツールのエクセル出力機能をテストする。実データを操ってみると、やはりいくつかミスがあった。それを直す。

昼、塩分を控えたいなと思い、昼飯にあんパンとサバランのみ食べた。

『怪しい来客簿』読み進む。戦前戦後の芸人話が面白い。

午後、暇を持てあます。

今朝見た夢のことを考えていると、昔住んでいた小金井のアパートのことを思い出した。
その部屋に住んでいた時はとにかく運が悪かった。よくもまあ悪いことばかり重なったものだと思う。
そして、よく悪夢を見ては寝言でシャウトした。
前の住人は体を壊して実家に帰ったと、契約の時に不動産屋のじじいは言っていたが、その人は部屋にいる『よくないもの』の影響を受けて体を壊したのかもしれない。
おれはというと、住んでいた九年間全般にわたる金運低下と、睡眠時に時折脳内で上演される悪夢が、その『よくないもの』からのプレゼントだった。
その部屋を出て行ってから一年後にそのアパートは取り壊され、ファンシーな建売住宅が建った。まるでおれが九年もかけて、その土地の『よくないもの』を祓ったみたいだと思う。
知ったのは2006年10月で、年末公演の取材をしている時だった。故郷に帰る夫婦の芝居だったので、自分にとって故郷にあたる町は小金井だぜと思い行ってみたら、アパートがファンシー住宅になっていたのだ。
しかもだ。その年末公演は、悪いことが積み重なったのだ。
宣伝美術のDMチラシ完成が本番直前まで遅れるわ、搬入日にレンタカーをこすって7万円請求されるわ、仕込み中に借りたミシンは故障してるわ、自転車の鍵はなくすわ、動員数は過去最低で大赤字になるわ…
そういうことが立て続けに起こったのだ。まるで、10月に元アパートへ行ったことで、まだその土地に浮遊していた『よくないもの』を、連れ帰ってきてしまったみたいだった。
だがその公演の後、よくないことは起こらなくなった。悪夢も全然見なくなった。かつては数ヶ月に一回はうなされたのに、ここ数年は、怖い夢を見たとしても、うなされるということはない。
今朝の夢も、ビジュアル化すればかなり怖いが、夢を見ている時にはまったく怖さを感じなかった。小金井時代に見た夢に比べればどうということもなかった。目が空洞になった人間じゃない奴に対しても、どこか毅然としていられた。
悪夢を見ている最中に毅然としていることは、重要だと思う。そこで恐れると、悪夢は続くのだ。
そういうことを、小金井に住んでいた九年で学んだのではないかと、最近思うようになった。

夕方、実家へ。日曜日に買った泉屋のクッキーを持っていく。
夕食に、てんやの天ぷらと豚汁食べる。
母、友人宅へお茶をしに出かける。「お父さんのことお願いね」としつっこく言って出かけるが、その「あたしがいないとダメ」感をなくした方が父は自立するし、母ももっと自由にお茶しにいけるのに、と思う。

『クイーンズ・ギャンビット』7話見る。最終話。以下備忘録だがネタバレ。

酒浸りになったベスのところへ、孤児院時代の友だちジョリーンがやってくる。そして、ベスにチェスを教えた用務員シャイベルさんが死んだことを伝える。
シャイベルさんの葬儀へ行き、そのあとベスは孤児院を訪れる。チェスを教わった地下室で、シャイベルさんが有名になっていく自分をずっと見守っていたことを知ったベスは、ジョリーンの待っている車へ戻ってきて、涙する。ここは良かった。
そして物語はクライマックスへ。ソ連チャンピオンのボルゴフとの戦いに向け、ベスはモスクワへ。ヨーロッパ各国からやってくるプレイヤーを倒して行くごとにベスの人気と知名度は上がって行く。この一連の場面のベスは、全7話で一番美しく撮られていた。
いよいよボルゴフ戦。中断を経るところで仲間たちの電話という友情場面あり。ベニー・ワッツ役のトーマス・ブロディ=サングスターは上手いなあと思う。
再開。ボルゴフは途中でドローを提案するがベスは拒否。その後、ボルゴフは予想していなかった手を打つ。ベスは動揺するが心を落ち着ける。ここのベスは、人間じゃない生き物の顔をしていた。美しいのだけど、人間離れしていた。目の開き方が特にそうだった。

あまりにも面白かったので、途中から一気に見ることはせず、一週ごとにじわじわ見た。
カメラがとにかく素晴らしかった。予算が潤沢であるのは前提条件だろうが、ハイテクを駆使しているなあというんではなく、どういう絵が撮りたいかがしっかりしていて、それを実現するために技術を使っていた。
最終話のエピローグ的場面などは、歩くベスを手持ちカメラで撮っていた。手ぶれがとても効果的だった。

10時半就寝。