その瞬間

ダラダラ寝て、6時半に起きた。
トマトの誘引をしようとしたが、脇芽の茎が想像以上に太くなっていたので、曲げたりせず、これから伸びていく方向に紐を張り、それに沿って伸びていけるようにした。
水も減っていた。10リットルバケツ一杯分の溶液を補充した。

7時40分過ぎに家を出る。
現場に着き、コンビニでどん兵衛の掻き揚げうどんを買って外で食べた。

午前中、新ツールの改造をした。

縮毛矯正をしてきたワーカーに気づいた同僚女性が、強めに反応していた。
「え? え? やったでしょ縮毛矯正。きれい。かわいい。ていうか美しい。休み明けにイメチェンで出てこられるとさあ、連休って、あったんだなあって思えるよね」

なるほどー、と思った。

昼、『海外天』で排骨麺食べる。思ったよりずいぶんあっさりしていた。

午後、旧ツールのコード掃除。

5時半、外に出ると雨が降っていた。自転車で帰るのを諦め、メトロに乗る。
いなげやで買い物。チキンとうなぎ飯を買った。

6時半帰宅。チキンとうなぎ飯を食べ、着替えて、スピーカーやその他荷物をリュックに入れる。

7時半過ぎに家を出る。9時に実家へ。

父の部屋を覗いた。酸素吸入器が置いてあった。父の鼻にはチューブが差し込まれていた。目が半分開いていたので「ただいま」と声をかけたが、返事はなく、呼吸音だけが聞こえた。母によると、酸素吸入器を導入してからずっとその調子だという。

母を寝かせてから居間のソファに座り、スマホやクラウドに保存している音楽ファイルを調べた。静かな音楽を探した。ショパンのピアノ曲集を再生してみたが、情緒的に悲しく聞こえる曲があるのでやめ、定番曲を集めたベストアルバムを再生した。

持って来たスピーカーに接続しようとしてから、スマホには端子がないことに気がついた。スピーカは古く、Bluetooth接続ができないやつだった。仕方なく、スマホで直接音楽を流し、父の部屋に入って枕元のテーブルにスマホを置き、襖を閉めて居間に戻った。父の部屋からは、音楽と呼吸音が聞こえてきた。

居間で本を読み、時々音楽と呼吸音に耳を澄ませた。呼吸音は落ち着いてきていた。

ふと、ソファの向かいにあるテレビ台の引き戸が気になった。以前は引き戸の前にごちゃごちゃと物が置いてあったのだが、母が片付けたらしかった。

引き戸を開けてみると、古いアルバムが数冊しまってあった。父のものと母のものだった。父のアルバムは造船会社で働いていた頃のものだった。母のアルバムは22歳の時に北海道旅行をした時の記録だった。
母のアルバムは、スケッヂブックに写真を貼り付けたものだった。阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖、小樽の町、その他色々なところを訪れた時の写真の他に、感想や詩の引用、手書きの地図やイラストが描かれていた。強い感動があったのだろう。しかし、母のそういう面を今までの人生で一度たりとも見たことがなかったので、意外さに驚いてしまった。
22歳ということは最初に勤めた出版社をやめる前後だろう。編集の仕事をやっていた時の記憶が生々しく残っていたため、自作の旅行アルバムを作ることに何の抵抗もなかったのかもしれない。もし出版社をやめずにいれば、そのセンスはより磨かれていったかもしれず、その後の人生はかなり違ったものになったのではないか。そうしたらたぶん、父と会ってはいなかっただろうが。

音楽を流してから、父の呼吸音は少し穏やかになったように聞こえた。静かで落ち着く音楽ばかり流していたので、勝手にそう感じたのかもしれないが。

ドボルザークの「新世界より」が流れている時、父が二回ほど咳に似た呼吸をした。苦しいのかなと思い耳を澄ましたが収まったので、そのまま最後まで音楽を流した。

すべての曲を再生し終わってから父の部屋に入り、スマホを手に取り居間に戻った。次はどの曲を流そうか考え、ピアノと弦楽器で静かな音楽を作っているアーチストのアルバムに決め、再生した。

父の部屋に入り、枕元のテーブルにスマホを置いて居間に戻った。

3日と4日に泊まった時、父は夜中に何度か手元の鈴を鳴らして、ポカリスエットや水を欲しがった。しかし昨日からほとんどそういうことをしなくなったらしい。目は半分開いていたが、おそらくもう何も見えておらず、だからこそ開いているのだろうと思った。

ソファに座り、音楽に耳を傾けたが、さっきよりよく聞こえてこなかった。耳を澄ませれば聞こえるのだが、ボリュームが小さすぎるような気がした。

そして、父の呼吸音もよく聞こえなくなっていた。音楽で落ち着いて静かな呼吸に戻ったのだろうかと思ったが、気になったので襖をあけた。スマホから流れる音楽はやはりボリュームが小さすぎた。酸素吸入器は動いていたが、ほとんど音を立てていなかった。さっきから吸入器の音だと思っていたのは、父の呼吸音だったのだ。

父を見た。呼吸の音は聞こえなかった。指を口元に持っていき、手首で脈をはかり、心臓に耳を当た。息と脈は感じられず音は聞こえなかった。父は死んでいた。

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