連絡と準備

居間に戻り、壁に貼ってある介護士の電話番号に電話をした。介護士さんに状況を伝える。すぐに来ると言われた。

父の部屋に戻った。もう一度脈を測り、息を確かめ、心臓の鼓動を確かめたが、さっきのままだった。体はまだ冷たくなっていなかった。

いつ亡くなったのだろうと考えた。クラシック名曲集をかけている間は、曲の合間にずっと呼吸音が聞こえていた。

「新世界より」の時に、咳のような音が二回聞こえた。その次の曲で再生は終わったのだが、曲が終わった後は呼吸音が聞こえてこなかった。落ち着いて静かな呼吸になったのだろうとその時は思っていた。

たぶん、「新世界より」を聞きながら、父は死んだのだろう。激しく咳き込んだり苦しんだりすることなく、あの音楽に誘われるように、この世に別れを告げたのだろう。

だとすれば、おやじさん、出来すぎな最後だ。
よくぞそのタイミングで、あの曲がかかってくれた。

11時半頃に介護士さんが来た。父を見てもらう。介護士さんは確認のようなことを少ししただけで「ああ」と言い、目をつむって両手を合わせた。そして、医者には連絡済みなので、その前に体を拭きましょうと言った。


寝室に行き、寝ている母を起こし、事実を伝えた。母は驚いて飛び起きた。すでに介護士さんも呼んだし、連絡はすべてやるから大丈夫だと伝え、落ち着かせるために椅子に座らせた。

葬儀屋に連絡をし、妹に電話をした。遅い時間だったが、妹はすぐ来ると言った。

母は、何かしていなくては落ち着かないようで、介護士さんの指示通りに湯を沸かしたりタオルを用意したりと、手伝いをしていた。合間に、母に臨終の様子を話した。

妹夫婦と、甥の三男が来た。介護士さんの処置が終わったので送り出し、妹たちに臨終の様子を話した。

1時前に医者が来た。死亡診断をしてもらい、書類の確認をした。父を見てもらっている時に、先生と少し雑談をした。4月に入院し、退院してから急速に衰えたこと。エンシュアリキッドのこと。先生は「あの飲み物は、飲みにくいんですよ」と言っていた。

先生が帰ってから葬儀屋に連絡した。妹の旦那さんと甥は帰り、妹は残った。母は、気分が乱高下しているようだったので、ロディオラを飲ませた。

葬儀屋が来て、死亡診断書の記入方法を指示してくれた。言われるままに書き、明日の打ち合わせをした。先に斎場の予約を決めてから葬儀の日程を決めることが出来るとのことだった。遺体の移送などをどうするかは明日決めることになった。

2時過ぎに葬儀屋が帰った。妹は泊まって母の部屋で一緒に寝るとのことだった。母は寝るためにデパスを飲みたいと言った。「飲んで飲んで。今飲まないでいつ飲むの」と妹が言った。

父の部屋の冷房を18度に設定した。

妹と母が寝てから自室に戻った。猛烈に腹が減っていた。そっと家を出て『一番』へ行き、唐揚げ弁当を買った。遊歩道のベンチで弁当を食べ、ゴミを持って家に帰り、布団の中に入って電気を消した。3時半だった。

8時半に起きた。葬儀屋からは10時までに連絡が入る予定だった。起きて、『一番』へ行き、ナス肉ピーマン弁当を買ってきて、居間で食べた。

10時前に葬儀屋から電話が入った。これから斎場に空きを聞くとのことで、希望の日時を聞かれた。早ければ早い方がいいと答えた。

再び、葬儀屋からの電話を待つことになった。妹は、夕方また来て泊まると言い、いったん家に帰った。

昼前に葬儀屋から電話。14日に一日葬をすることになった。遺体は安置所に運ぶことになるが、その前に自宅で着せ替えをする。着るのは父が昔着ていたスーツ。明日まで、父の遺体は自宅に安置することになったので、そのための線香台を持ってきてもらうことにした。

昼、朝おれが食べていたおかずを食べたいと母が言った。しかし、三食連続で『一番』で食べるのは馬鹿らしかったので、アコレへ行きナスとピーマンとひき肉を買ってきて、麻婆茄子を作って二人で食べた。

午後、母が買い物に行っている間に父の部屋に入り、色々話しかけながら白布をめくった。
介護士さんの話では、苦しい時は眉間に皺が寄るとのことだったが、父の眉間にはまったく皺がなかった。「安らかーに亡くなられたのだと思います」と介護士さんは言っていた。
いったん閉ざした父の目はまた少し開いていた。白い髭が伸びていた。表情は昨晩よりも穏やかになっており、風貌は、なんだか、思考する哲学者のようになっていた。

昨夜、最後に咳のような音が聞こえたのは、死ぬ寸前に何かを伝えようとした音だったのかもしれない。それは、断末魔であったのだろうけど、聞いている者の心を恐ろしくさせるような音ではなかった。最後に残された表現手段が呼吸の音であり、その中で一番明確に意志を示せるのが咳のような音だったということかもしれない。

夕方5時、妹が来た。

5時半、葬儀屋が来て、線香台を設置した。末期の水のセットももらった。線香をあげてから、末期の水を父の唇にあてた。「お酒飲ませてあげよう」と妹が言い、家にある日本酒で同じことをした。

6時半に実家を出る。

7時半帰宅。夕食に、ポテトフライとエビの唐揚げ、ピザを二かけ食べた。

1時半就寝。