7時半起き。朝飯にフルーツグラノーラとミルク。
9時半から作業。どさん子ツールの改修をする。久しぶりに大がかりな改修なので、午前中はそれにかかりきりとなった。大がかりといっても、過去の現場だったらしょっちゅうやっていたレベル。
昼、シャウエッセンを薄く刻み、青ばんマヨネーズやチーズをのせた食パンにそれぞれのせ、トーストにして食べた。
午後、どさん子作業続き。テーブルにフィールドを増やし、レコードの一意性を管理する項目として使うようにする変更。変更はうまくいったが、それによって従来の一意性管理で帳票出力していたコードやクエリへの影響が大きい。そちらを修正する方が時間がかかりそうだ。
夜、新宿武蔵野館へ。『レイブンズ』見る。瀧内公美出演。
監督はマーク・ギル。イギリス人監督。カメラワークと光源の扱いが日本人とは違っているように思えた。照明が美しく、人物の顔に光がどのように当たっているかがきちんと考えられていた。
カメラマン深瀬とその妻洋子の物語が本流にあったが、深層には深瀬と父の物語があった。父は息子に、自分のやっている写真館を継がせるつもりだったが、息子は拒否して、芸術を志すカメラマンになったのだ。しかし、息子の人物像は、父に反発しつつも、認められていないことについて鬱屈しているように描かれていた。
洋子は写真のモデルとして登場する。カメラのファンダーから見るショートカットの瀧内公美が魅力的。どういう魅力であるかを表現するのに浮かべた言葉が、ごれも類型的に感じる。オリジナルの魅力だ。
二人は結婚する。妻を食わせるため、深瀬は商業写真の仕事をするが、やがて飽き足らなくなり、再び撮りたい写真を撮るようになる。
洋子は深瀬を理解しようとし、自分のことをちゃんと見てくれと言う。深瀬は見ていると答えるが、洋子からすると、彼はカメラの後ろに隠れているかのようだ。
やがて深瀬の写真が認められ、ニューヨークのMoMAで写真展が開かれる。しかし、現地で写真のモデルとしてちやほやされる洋子を見て、深瀬はひがんでしまう。その鬱屈に洋子はうんざりし、帰国後別居する。
洋子なしでも自分の写真で認められたい深瀬だったが、追い詰められ、戻ってきた洋子を行き違いから怪我させてしまい、逮捕される。
二人は別れ、深瀬は写真をやめるが、再び撮り始め、洋子なしに高い評価を得る。その展示に洋子が訪れる。久しぶりの再会だったが、洋子は再婚していた。
晩年、深瀬はゴールデン街にあるバーで、店を出るときに階段から転げ落ち、頭を強く打って脳機能を損なってしまう。見舞いに訪れた洋子は、無表情で何も言わなくなった深瀬言葉をかけ、コンパクトカメラを持たせて去る。
深瀬は回復せぬままこの世を去り、洋子は深瀬が死ぬ直前まで欠かさず見舞いに訪れたというテロップが出てエンディング。
洋子は、深瀬によって傷つくことはあっても、けっしてボロボロにはならず、バチバチに戦い、強く自立していた。瀧内公美は、その強さを表現する演技のスキーマが、他の俳優と違うような気がした。強いけど強すぎず、あとを引かない。去るときも、あっけなくさーっと去る。小気味よく、べたつかない。監督の演出によるものかもしれないが、この女性像は胸がすーっとするほどかっこよかった。
映画で唯一気に入らなかったのは、エンディング曲だった。普通の洋楽ロック。微妙。いらねーなー。無音か、病院の外の音をずっと流してカラスの音が時々聞こえるくらいで良かった。あと、深瀬の前に時々現れて英語で話しかけるカラスは、『君たちはどう生きるか』の青サギと、存在の仕方が似ていた。
映画を見ている途中、1時間20分ほど経ってからスマホに着信があった。バイブにしていたが、一回留守録になったあと、連続して2回着信が続いたので、電源を切った。スマホから、Bluetoothを通じて、時計に時計に発信相手が表示された。最初の着信は妹で、そのあとの2回は知らない人の番号だった。
妹が電話をかけてくることは滅多にない。あるとすれば、母が倒れた時だ。
知らない人の電話は、母が倒れたことを、オレに連絡してきた人の番号ではないか。スポーツクラブで一緒の人か、あるいは病院の人か。その人が妹に連絡を入れたので、妹がオレにかけてきたのではないか。
それらの電話が連続して鳴ったということは、緊急事態なのかもしれない。時計を見ると、映画は残り30分ちょっとで終わりそうだった。
きっと母が倒れ、病院に運ばれたのだろう。場合によっては、緊急事態なのかもしれない。そうでなければ、短い間に高頻度で電話がかかってくるはずはない。
一瞬、映画館の外に出て留守電を確認しようかと思ったが、映画を最後まで見てからにしようと思った。緊急事態であったとしても、どのみち、いったん自分の家に帰ってから、病院なり実家なりに向かうことになる。それに、向かうのを30分早くしたからといって、起きた事態が改善するはずはない。たとえば母が死んでいたとして、映画を途中でやめてすぐに電話に出ることで、その命が助けられるはずはない。
映画を見終わってから、すぐ外に出てスマホの電源を入れた。
留守電メッセージを再生すると、ガヤついた店で誰かが笑いながら喋っている音声が入っていた。
妹はこちらに電話をかけてきて、留守電になったので切らずにほったらかしにしていたら、笑いながら喋っている音がそのまま留守電メッセージに入ったのだろう。たぶん、飲みながら誰かと話していたのだ。とりあえず、母が死んだわけではないようだ。
直後、妹からメールがきた。「ごめんね」といタイトルで、写真が添付されていた。写真には、妹と、3人の女性が写っていた。友人なのだろうが、誰だかわからなかった。
いなげやで、ビール、たまねぎ、チョコパイ、ピーナッツを買い、9時半すぎ帰宅。
再び妹からメール。幼稚園時代から、兄妹共通の幼なじみと飲んでいたとのこと。相手は、オレに会いたいと言っていたらしく、飲みの躁状態も手伝って、電話をかけてきたらしい。知らない番号の二つは、一緒に飲んでいた女性三人のうち、二人の番号だったようだ。
添付写真をPCで見た。一人はオレと同学年のKさんだろうと見当がついたが、あとの二人はわからなかった。たぶん、妹と同い年の幼なじみだろう。
土日にランニングするコースを、Googleマップで見当した。神保町まで走ると片道11キロにしかならないことを知った。意外と短い。走って行けそうだ。
1時、ベッドに入り、『ホンモノラジオ』を聞く。
2時過ぎ就寝。