10時半起き。11時半まで書き作業を少し。
12時、昼飯に、ご飯、よだれ鶏、豆腐味噌汁、かぶぬか漬け、煮干し田作り、納豆。
午後、書き作業を途中でやめる。やる気が出なかった。「夢想」練習も気がのらなかった。毎年二月はやる気がでない季節だと気がついたのは去年のことだった。まだ二月には早い。なんとか切り抜けたいものだ。
日差しが部屋に差し込んでくるようになった。冬至からもうひと月以上経っている。そして、あと二ヶ月ちょうど経てば、なんと、トマト栽培開始だ。
夕方まで、寝転がりながらダラダラした。
夜、ご飯、かぶぬか漬け、筑前煮、味噌汁。筑前煮は木曜に作ったやつたが、はっきりいって失敗した。味が薄すぎた。具が多すぎたせいだ。
西寺郷太『伝わるノートマジック』読了。様々なテーマで語るときに著者が作成したノートがそのまま掲載されているだけのものなので、読了というより、閲覧終了という感じだが、80年代洋楽に関するノートはどれも大変面白かった。
夜、カート・ヴォネガット『これで駄目なら』読了。大学の卒業式などで行った講演集。ヴォネガット作品は本題に入る前のマクラが面白いのだが、そのマクラだけを集めた作品集みたいになっている。
アレックス叔父がりんごの樹の下でレモネードを飲みながら言った「これで駄目なら、どうしろって?」という言葉は、タイトルの由来になっている。アレックス叔父は、物事がうまくいっている時に、それに気づくことができるよう、全力を尽くしていた人である。だから卒業生諸君もそうした方がいいと、ヴォネガットは各講演で繰り返し言っていた。
最後の長編『タイムクエイク』で、カートが叔父さんにひどいいたずら手紙を送ったエピソードが好きだ。
戦後間もない頃、バーナード兄はGEで働いており、人工降雨の実験で有名になった。そのことを知ったアレックス叔父は、新聞に載った甥っ子の写真を送ってくれないかと書いた手紙を、1ドルを同封してGEに送った。
ところが、その頃GEの広報には、バーナードの弟である不肖カートが働いていた。アレックス叔父の手紙は、これあんたのおじさんだろ、みたいな感じで、カートのところに回されてきた。カートは、しめしめ、いたずらができるぞとほくそ笑み、無礼極まりない返事の最後に「一度にパーッとつかってはだめですよ」と書き、送ってきた1ドル札を添えて、アレックス叔父に送り返した。
アレックス叔父はカンカンに怒り、GEを訴える寸前までいったのだが、ギリギリのところでカートのしわざだと気づいて、手紙をバーナードに渡した。この時訴えられていたら首になっていたろうとカート・ヴォネカットは『タイムクエイク』で述懐している。
この手紙は、長いことバーナード兄が保管していた。バーナードはカートのお笑い師匠であり、カートは兄の後ろについて回ることでジョークの勉強をしたのだ。そしてバーナードは、弟が書いたもので面白いと思ったものを紙はさみに保管していた。その一つが、アレックス叔父に送った手紙だったというわけだ。
兄バーナードはその手紙を、臨終の床で弟に返した。弟は、ウケ狙いでふざける相手が、もう誰もいなくなったことを悲しんだ。
ヴォネガットは卒業生達に、コミュニティに参加することを勧めている。彼氏や彼女、妻や夫、それだけじゃ足りないからだ。それはたぶん、家族だけじゃ足りないからでもあるだろう。家族は重要だが、もっと広く拡大しなければならない。そのへんは、『スラップスティック』に詳しく書かれている。家族は、情緒だけではなく、システムとしても重要であるということだ。で、家族以外の人間に対しては、ドーナツを対象にコンプライアンス的にNGなことでもしてろと言い放って追っ払えばいいのだ。