5時起き。朝飯にあんころ餅を食べ、グレープフルーツジュースを飲む。
フォームローラーで筋膜リリースをし、メンソレータムを足指や股ずれ箇所に塗り、顔に日焼け止めを塗り、ユニフォームの上にジャージを着て、その上にウィンドブレーカーを着て、6時半に家を出る。
自転車で高円寺へ。駐輪場に自転車を止め、環七沿いのバス亭へ。王子行きの都営バスが来たので乗ろうとすると、運転手から「次の関東バス赤羽行きが来るよ」と言われる。関東バスはそのバスの真後ろに続いていたのでそれに乗ると、発車後すぐに都営バスを追い越した。
大和町で降り、都営三田線の板橋本町駅へ。蓮根駅で降り、板橋Cityマラソン会場に向かう。三年前に参加した時は一つ先の西台駅で降りたので、途中まで周囲にランナーらしき人を見なかったが、今日は沢山した。
8時過ぎに会場へ。荷物置き場近くにレジャーシートを敷き、シューズにチップを取り付け、ジャージを脱いだ。
荷物預けをし、トイレに並び、8時40分頃にスタートブロック最後尾まで行き、200か300メートルほど流しをして、心拍数を上げた。
自分の出走ブロックはFだった。そこまで歩いて移動すると、時刻は8時50分になっていた。
ガーミンのメトロノーム設定を173に設定する。先週一週間、180で走るようにしてきたが、その速さでレース本番を走るのは時期尚早に思われた。たぶん途中で尻の筋肉がつりそうになるだろう。ピッチ180は、5月の奥州きらめきマラソンに向けた走り込みで慣れていけばいい。
9時、スタートの号砲が鳴った。今日の状態を二週間前の東京マラソンと比較する。シューズが幅広なのでつま先部分が楽。木曜からカーボローディング気味に炭水化物を摂取した。ウエストポーチに途中で摂取するゼリーを二つ用意した。この一週間はピッチを上げるために走ったが10キロなので疲労はそれほど残っていないはず。フェリチン鉄サプリを服用してきた。
今さらやっても遅いという対策もあるが、やらないよりはやった方がマシと思った。
カーボローディングをしたので、東京マラソンより2キロ近く体重は重くなっているはずだった。これは仕方ない。
号砲後、8分ほどでゲートをくぐった。ガーミンのスタートボタンを押す。腕に感じるメトロノームの振動に合わせて走り始めた。
1キロまでは道が混雑しており、集団の流れに乗るしかなかった。ラップタイムは6分ちょっとだった。その後、全体のランニングペースが定まってきた。2キロのラップは5分50秒だった。
その後ずっと、走行ペース5分50秒で走った。意識としては、ただひたすらメトロノームに合わせてピッチを刻んでおり、その結果としてのペースだった。練習でピッチを180にした時は5分20秒くらいになることもあったので、やはりピッチ173だとペースが落ちるのだなと思った。
しかし、173にしたからといって、楽に走れている感じはなかった。ストライドがやや広くなると、途端に呼吸が苦しくなった。10キロまでは体を慣らすつもりで走ることに決めた。
しかし、体は慣れる気配がなかった。5キロ地点前、おなじみの上り坂では、ひーひー言う感じに息が苦しくなり、ペースがキロ6分台に落ちた。水門の5キロ地点を越え、道がフラットになってからも、しばらくは息が苦しかった。
給水ポイントごとに水とポカリを飲んだ。7キロ、8キロと進むが、呼吸が楽になる感覚は訪れなかった。
そのような感覚をレースで感じなくなって久しい。練習中も同じだ。今日はいつまでも走れそうだなと感じることは、12月から昨日までの走り込み中一度もなかった。
たぶん、体がまだ重いのだろう。というのも、2023年末から2024年にかけて、自分史上最大の増量をしてしまったため、そこから減った現在も、2022年前半と比べると、2キロか3キロはオーバーしている。2022年前半は、5月の黒部名水に出走して、途中で熱中リタイアしたが、序盤は体が軽く感じた。2021年末から年明けにかけてかなり体重が減り、それが5キロも戻っての黒部だったのに、そう感じられたのだから、2021年末に袋井メロンマラソンを走っていたら、おそらく今までフルマラソンを走ってきた中で一番軽い体で走れていたと思う。しかし、この年前後はコロナのため、マラソン大会は軒並み中止になっていた。せっかく痩せたのに。
10キロをネットタイム58分で通過した。当然、速くはないが、ラップタイム表示が5分50秒ならそんなものだろう。実際は5分35秒になったりすることもあったので、トータルでは5分40台後半ペースだったのかもしれない。
ランニングウォッチのメトロノーム設定を174に上げた。気持ち、ベースが速くなり、ラップタイム表示は5分35秒になった。このまま体が慣れてくれれば、15キロ地点あたりで175くらいに上げてみようかと思っていた。
しかし、慣れは一向に訪れなかった。むしろ、腿、ふくらはぎ、臀部の筋肉に、疲労感がたまり始めていた。
15キロ地点のやや手前で、ポーチからゼリーを出そうとした。ところが、ファスナーが引っかかってあかなかった。しばらく走りながら悪戦苦闘し、結局、道の端でいったん止まってゼリーを出し、飲みながら走りを再開した。
折り返し地点から戻ってきた先頭グループのランナーとすれ違うようになってきてから、彼らの体型を観察してみた。トップを走るランナーから、サブ3のペースメーカーに続くランナー群まで、一人として余分な肉がついているランナーはおらず、スリムな上半身をしていた。
18キロを過ぎてから、ペースがガクンと落ちた。それまではメトロノームのペースにピッチを合わせて走っていたのに、合わせられなくなってきた。ペースはキロ6分台から、あっという間に7分台に落ちた。へたりではなく、疲労による感覚だった。
19キロになると、ペースはとうとうキロ8分台に落ちた。
4時間15分と4時間30分のペースメーカーに抜かれた。
20キロを過ぎ、時計を見ると、トータル時間は2時間を軽く超えていた。ペースがキロ8分に落ち込むのは末期状態なのだが、それがハーフ以前の段階で訪れたということは、これはもう、まともに走って完走するのは不可能だ。
5月17日に奥州マラソンを走る。明後日がちょうど二ヶ月前になる。しかし、今日この状態で完走した場合、ダメージ回復に一週間は休まないといけないだろう。場合によってはもう少しかかるかもしれない。それよりは、ハーフで棄権しておいて、明後日くらいから走り込みできた方がいい。
折り返し点を過ぎ、首都高の橋の下にある救護所で棄権を告げた。そのあたりではもうフラフラになっていた。椅子に座り、毛布をかけてもらった。「体が冷え切ってますね」と、救護スタッフの人に言われた。そういえば、今日は晴れていて、風はやや冷たいがそれほど強くなく、しっかり炭水化物と水分補給をしていたというのに、走っていてあまり汗が出なかった。条件的にはむしろ、やや暑いというコンディションだったはずだ。やはり、調子は良くなかったのだろう。
収容バスに移動し、窓際に座り、出発を待った。バスの中ではWBCのラジオ中継が流れていた。日本対ベネズエラ戦で、日本が5対2でリードしていた。ところが、聞き始めてすぐ、ホームランで5対4に詰め寄られ、6回表には、3ランで5対7と逆転されてしまった。
その後、スタッフがラジオを消したので、続きはわからなかった。スマホで速報を調べることはできたが、そういう気分じゃなかった。なぜ自分は、走るのがこんなに遅くなってしまったのか。そればかり考えていた。
最後尾のランナーが走り過ぎてから、収容バスは出発した。土手の道を蔵前橋通りの北側まで走り、Uターンして蔵前橋通りを新小岩まで渡り、平和橋通りを北上。小菅の突き当たりを右折し、首都高の下を荒川左岸沿いに走り、鹿浜橋を左折し環七に入り、今朝歩いた板橋本町の交差点から中山道に入り、浮間舟渡の会場へ。会場に着いたのは2時半過ぎだった。タイムが5時間半のランナーがゴールしていた。
荷物置き場へ向かい、途中のシャーベットステーションではシャーベットをキャンセルした。今日はもらう資格がないと思った。周りの完走ランナーは、よろめくように歩いていた。
荷物を受け取り、ささっと着替え、逃げるように会場を後にした。
西台駅の『王将』に入り、ビールを飲み、餃子を食べた。板橋Cityマラソン帰りは王将が個人的定番だが、浮かない気分だった。スマホでニュースを検索すると、WBCで日本チームがベネズエラに負けたことが分かった。あのあと、1点もとれず、ベネズエラには追加点1点を許したらしい。
ビールを2杯飲み、店を出た。西台から板橋本町へ。駅を出て、大和町からバスで高円寺へ。駐輪場の自転車を出し、『いなげや』で、ビールと冷凍餃子とししゃもとマカロニサラダを買い、5時帰宅。ポストに、一昨日ヤフオク!で落札した、みやすのんき『走れ!マンガ家 ひいこらサブスリー』が届いていた。
荷物を片付け、風呂に入る。右腿の内側がひどく股ずれしていた。
ししゃも、マカロニサラダを食べ、餃子を焼き、ビールを飲んだ。
『ひいこらサブスリー』を読む。序盤、フォームについて骨格レベルでの細かい解説が書かれていた。著者は自分がマラソン大会を走ることだけでなく、マラソンのトップアスリートにも興味を持っている。周囲のランナー達は大会に出ることしか興味がないようだと書いているが、それは自分にも当てはまる。東京マラソンで1位だったランナーは誰なのか、まったく興味がなかった。たぶん、みやすのんきがマンガ家であり、興味をもった対象について、それをどう描くのかという視点で観察する習慣がついていたためではないかと想像する。そういう視点を持っていると、トップランナーを見たいという欲求を持つことは極めて自然だ。
それはともかく、読んでいてショックだったのは、ふくらはぎと太腿の太さについてだ。地面を筋肉で蹴るようなランニングを続けていると、ふくらはぎや太腿の筋肉はどんどん太くなり、筋肉で走ると酸素が沢山必要となるため、息苦しくなるという。これは、思い切り自分に当てはまっている。それどころか、ふくらはぎの太さを自慢するような心持ちでいた。
そういえば今日も、中国語でぺちゃくちゃ喋りながら走っている太った中国人男性二人組を、前半ゆっくり追い越したのだが、19キロ前後で追い越された。二人の足は太腿もふくらはぎも大変細く、なぜそんなに細い足で走れるのだろうと思ったが、むしろ逆だ。自分の足が余計に太すぎたのだ。
7時過ぎ、色々考えるのが億劫になり、明かりを消し、ベッドに横になった。
11時半、案の定目が覚めた。『ひいこらサブスリー』の続きを読む。
この本の大きな欠点は、初めてマラソンを完走してから、再びフルマラソンに挑戦するまで、どのようなトレーニングやダイエットをしていたのかが詳しく書かれていないことだ。
みやすのんきが初めてフルマラソンに挑戦したのは、2006年の荒川市民マラソンで、この時は制限時間オーバーで完走できず。次に挑戦したのが2007年の東京マラソンで、6時間をちょっときるタイムで完走。以降、しばらくは走ることなく、身長168センチ、体重85キロになっていたという。
その後、2011年に登山で息が切れたことをきっかけに走ることを再開し、体重は75キロになり、その後も練習を重ね、2014年の板橋Cityマラソンにエントリー。体重は68キロになり、本番では最初の1キロを5分10秒、その後は20キロまで4分30秒。35キロ地点では6分をようやく切る程度までタイムが落ちたというが、ネットタイムは3時間30分だったという。
こんなの、めちゃくちゃ速いじゃないか。そして、この時点ではまだ、本書に書かれている様々な走り方の知識はなかったのだ。逆に言えば、この本はサブ3.5のランナーがサブ3を達成するための本ということになる。
みやすのんきの体重が85キロだったのが、2008年から2011年の間だったとして、2011年にランニングを再開した時点で75キロ。この時点で10キロの減量だ。さらに、2014年の板橋Cityマラソン時点で7キロ減量の68キロ。体重85キロだったランナーが68キロになるということは、それだけでかなりのスピードアップ効果が望めるはずだ。さらに、2015年1月の勝田国際マラソンでは、「ダイエットで体重を58kgまで落としていました」と、さらっと書かれているが、68キロから58キロというと、10キロの減量だ。85キロからだと、27キロ減。
この体重減があっての、様々なトレーニングと効果だったのだろう。
となると、自分のやることも、ピッチや心肺機能がどうとか、ふくらはぎの筋肉がつきすぎてるとか言う前に、もはや体重減しかない。
でも、減らねえんだよな。月200キロ走って、やっと1キロという感じなんだよな。
そろそろ暖かくなってくるので、2016年初夏頃にやっていた、朝起きて飯を食う前に走るということをしてみようか。1月と2月は寒くてとても不可能だったけど。
とにかく地の体重をさらに3キロくらい落とさないといけない。今、負荷の高いトレーニングをやっても、そのまま足の筋トレになってしまい、筋肉をどんどん肥大させていくような気がする。
そこまで考えたところで、時刻は夜の3時半を過ぎていた。5月のマラソンはおそらく夏日くらいの高温下で行われるだろうから、タイムは期待できない。が、体重を減らして臨むことと、完走することを目標にして臨むことに決め、ほんの少しだけ落ち着き、就寝した。

