『アノーラ』見る

午前中、どさん子ツールのドキュメント作業。先週からやっているが、毎日めいっぱいやって、今週いっぱいくらいまではかかりそうだ。

昼、昨夜作ったクリームシチューと、作り置きしたお揚げで作ったきつねうどん食べる。

夕方までドキュメント作業をちまちまやる。こういう作業は、がーっと勢いづいてやると、疲労の度合いが高いので、鼻歌交じりにやるのがちょうどいい。サウンドバースピーカーの接続をBluetooth にして、スマホでSpotify の音楽を流しながら作業した。

夕方、作業後に銀座へ。銀座ファイブの『あるでん亭』で、夕食にアリタリアの大盛を食べる。クリームソースにポロネーゼが混ざったもの。うまかった。他の飲食店は好いていたのに、『あるでん亭』だけは混んでいた。さすがだ。しかし、高くなったなあ。

日比谷シャンテへ。7時15分から『アノーラ』見る。ショーン・ベイカー監督。

ニューヨークのストリッパーであるアノーラが、ある日、羽振りの良い客の相手を務める。客はイヴァンという若いロシア人で、ロシア語が話せるダンサーを希望していた。アノーラは片言だがロシア後が話せた。イヴァンはアノーラを気に入り、一週間の個人契約を結ぶ。

アノーラは、一週間イヴァンの彼女として過ごす。彼は大豪邸に住んでおり、派手なパーティーを開き、しょっちゅうPCゲームをしている。アノーラは彼の素性を聞くが、はっきりとした答えは返ってこない。

アノーラのことがすっかり気に入ったイヴァンは、彼女に結婚を申し込む。初めは笑っていたアノーラだったが、その誘いに段々引き込まれていき、とうとう二人は結婚する。

ところが、少しして、イヴァンのお目付役みたいな男達が家にやってくる。イヴァンは両親所有の家に住むボンボンだったのだ。イヴァンは男達に抵抗し、アノーラが着替えている間にとっとと一人で逃げてしまう。残った男達はアノーラを捕まえようとするが、彼女は大暴れし叫びまくり、男の一人の鼻を打ち砕く。用心棒的役割のイゴールが、やっとアノーラに猿ぐつわをかませ大人しくさせる。

アノーラは、男達とともにイヴァンを探すことになり、ニューヨークの珍道中場面が続く。鼻を砕かれた男が車に酔って吐く場面には笑った。

イヴァンはアノーラが働いていたストリップクラブにおり、別のストリッパーのサービスを受けていた。アノーラは、直接話せばイヴァンは味方になってくれると思っていたが、彼は泥酔していてそれどころじゃなかった。

で、そのあと彼の両親が出てきて色々あり、ラストの印象的なシーンで終わった。

アノーラを演じたマイキー・マディソンは、ストリッパー役であり、お金次第で体も売る設定だったため、ヌードシーンや濡れ場がふんだんにあったのだが、そういう役を演じる時に醸し出されがちな、体当たり演技の深刻さがなかった。これが、いい意味で、アノーラを魅力的にしていた。

アノーラは、セクシーなポールダンスを踊り、裸になって客を興奮させ、金払いのいい客相手には本番行為もする。しかし、誰かにやらされているというわけではなく、自分の意志でその仕事を選び、技術を磨き、肉体に誇りを持ち、正当な値段をつけ、見合ったギャラを要求している。

そのアノーラの態度と、アノーラを演じることに対するマイキー・マディソンの態度は、重なっていたのだと思う。だから、アノーラのヌードシーンは、ポルノになっていなかった。

女性と男性の性について、その違いを描いた映画でもあった。イヴァンと専属契約をして、お金で買われた恋人として一週間一緒に暮らしている時、イヴァンのセックスがあまりにもしゃかりきなので、そんなに焦らないでとたしなめて、自分も気持ちよくなれる速さでゆっくり動く場面があった。ここは、アノーラもイヴァンとちゃんとセックスがしたいと思った場面だったと思う。「どうせなら」か、もしくは、イヴァンへの苦笑交じりのアドバイスとしてなのかわからないが、自分が主体的にならないと、それはしないだろう。感じた振りだけしてれば、イヴァンは満足だったのだから。

そしてラスト。もう少し胸がすーっとなる展開ではないかと予想したので、見終わった直後は軽く拍子抜けした。しかし、映画館を出て地下鉄に乗り家路についている間に、ラストシーンこそ一番重要だったのではないかと思えてきた。

ラストで、アノーラは自分の意志で男とセックスをしようとする。最初のうち、男は戸惑いつつもされるがままだった。しかし、アノーラが動くうちに興奮してきたのか、アノーラの首に手をかけ、締めてしまった。締められたアノーラは男の手を振りほどき、ビンタする。男は、しまった! という感じになり、手を広げて、もうそんなことはしないという意志を示し、アノーラに触れないようにする。ここも、イヴァンのしゃかりき場面と同じく、男の性の貧弱さを露呈した場面になっていた。本来、お互い受入れ合う場面になるはずだったのに。たぶん男は、そういうセックスばかりしてきたため、それが、出てしまったのだのだろう。悲しかった。

帰宅し、『アノーラ』のことを色々調べた。インティマシー・コーディネーターを雇わずに撮影されたということに驚いたが、同時に、なぜか納得した。インティマシー・コーディネーターは重要な職種だが、当たり前になることで陳腐化する危険があるのではないか。企業による社員に対するセクハラ講習みたいなものだ。懸念するべきことは、インティマシー・コーディネーターを雇い、製作側と演者が同意したにも関わらず、演者がその作品によって自分の性を奪われたように感じた場合、どうすればいいのかということだろう。

そのへんについて、実はまだよくわからない。インティマシー・コーディネーター自体、長い歴史のある仕事ではないし、コーディネーターの優劣基準も、どうやって判断すればいいのか。

ただ、結局のところ『アノーラ』は、インティマシー・コーディネーターが介在したのと同じレベルの同意を、出演者と製作者が得ていたのだろうと想像する。マイキー・マディソンだけでなく、他のストリッパー役を演じる出演者たちも、性を奪われたように感じることなく、役づくりに没頭でき、自分の演技に誇りを持つことができたのではないだろうか。

見る側の我々も、裸が出てきたからといって、それほどぎょっとすることなく、あるがままに見ることができたと思う。女性向け映画で、男性に対しては啓蒙映画であった。

しかし、結局はアノーラの魅力が、作品全体を覆い尽くし、見るものに元気を与えていた。

一番好きな場面は、逃げたイヴァンにアノーラのスマホで電話をかけるため、手を縛られていたアノーラに、男達が顔認識を頼むところだった。スマホカメラで自分の顔を認識させる瞬間、アノーラは、可愛い顔をするのだ。