17年ぶりの「朝日」

ヴォネガット伝記に触発され、6時過ぎに起きて台本を書く。
でも、ヴォネガット伝記を読む少し前から、早起き台本書きはしていた。
触発されたのではなく、先にやっていたから、読んだ時その部分に反応出来たのかも。

台本設定に「エレベーター」を追加。
当初考えていた「待合室」のニュアンスが薄くなった。

早めに仕事へ。
昼は弁当。
仕事は6月くらいから落ち着いてきた。
メンテナンスツールを改修し、インポート依頼をこなす速度が急激に上がったのも理由の一つだ。
これまでは依頼がくるたびに追加クエリや更新クエリを作成していた。
インポート対象のフィールドを選択すれば、自動的にSQL文を生成するフォームを作ったところ、120秒かかっていた作業が20秒で済むようになった。
120秒だって一般的にはかなり早いと自負していたが、20秒となれば6倍の速さだ。
積もり積もれば大きな差になってくる。

夕方、新宿西口の「ほりうち」へ。
「満来」の同系列店で、チャーシュー麺が売りだ。
ラーメンそのものは昔ながらの東京ラーメンで好みの味。
つけチャーシュー麺を食べる。
肉をかきわけて麺を食べるほどのチャーシュー量。
一年に一回くらいでいいかな。

7時前に紀伊國屋ホールへ。
KOKAMI@network公演『朝日のような夕日をつれて2014』観劇。
旧知の先輩俳優、松井さんにチケットを売ってもらった。
その松井さん、仕事が遅れたために開演ぎりぎりに到着した。
「オープニング間に合わないかと思いましたよ」
と話しながら客席に座ったとたん、客電が消え、オープニングが始まった。

1991年バージョンを見たのも紀伊國屋ホールだった。
第三舞台としての公演で、集団として全盛期にあり、普通にぴあに電話するだけではチケットを入手することは困難だった。
出演者は、大高洋夫、小須田康人、筧利夫、勝村政信、京晋佑。
すごいスピードでよどみなく台詞を喋り、スーツの背中に汗が浮かぶほど激しく動く芝居だった。
「朝日~」に限らず、当時の第三舞台の芝居はみんなそうだった。

だがもしかするとそれは、見る側が勝手に抱いていた偏見だったかもしれない。
三年前に解散公演を見に行った時、第三舞台は十年間公演をしていなかったし、その時点で「朝日のような夕日をつれて91」から20年が経過していた。
激しい動きや、機関銃のようなテンポで交わされる台詞回しを期待するお客さんは少なかったと思う。
そういうものは第三舞台の魅力の一つではあったが、すべてではなかった。
数十年の月日を経ても変わらないものは確かに舞台にあり、解散公演でそれを知ることができたのは幸運だった。

今回の再演も見る前の心構えは同じで、跳んだり跳ねたり絶叫したりする大高さんや小須田さんを期待してはいなかった。
91年バージョンを見たからこそ、今回のバージョンとの差分を体感し、この戯曲の本質的な面白さを知ることができるんじゃないか。
うっすらとそんなことを思いながら、懐かしいオープニング場面を見た。

立花トーイというおもちゃ会社が登場する設定は初演と変わらず。
扱うおもちゃが時代に沿って変わるのが、過去の再演のパターンだ。
今回はスマホアプリだった。
戯曲は、SNS社会におけるコミュニケーションのさまざまな問題を、見事に包含していた。
「マルクスクスクス」「ルソー」というやりとりはなくなっていたが、「どうぞ」「いえどうぞ」の掛け合いは残っていた。
筋肉が躍動する激しさはなくても、会話のテンポは聞いていて心地よく、言葉の洪水が何もない空間を埋め尽くしていた。

あっという間の2時間だった。
面白く、そして、わからなかった。
不安や幸福や夢や希望や失意や絶望が芝居の中に詰まっていて、そのうちのどれかが、見る者のハートと共鳴する。
その感覚を味わった多くのお客さんがリピーターとなり、80年代の第三舞台は、トップランナーとして演劇界を駆け抜けて行ったのだろう。

終演後、松井さんと「池林房」へ。
ビーグル大塚さんから私物を受け取る約束をしているとのことだった。
イカ肝のルイベを肴にヱビスビールを飲み、近況を話し、芝居の感想を語り合った。
松井さんはどうやら、87年版の朝日を見ているらしい。

11時に店を出る。
新宿三丁目入り口付近で別れる。
12時前帰宅。